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『華厳五教章』決択前後意第七
直前の「教起前後第六」では、釈迦一代における説法の時間的前後関係によって一乗と三乗・小乗の違いが起こることを説明した。これに対し、「決択前後意」では、その教起が前後する理由を説明する。すなわち、教所被の機(教えを受ける衆生の機根)に浅深の差別があるから教にも差別があるのだと決択し、十門を設けて各機根を説明している。
各門の最初に「此の世の中において」と断っているのは、過去世や来世においても機根が定まっているとするのではなく、あくまでも「今世において」と限定することで、回心が可能であることを示している。この点において、五性各別(声聞定性・独覚定性・菩薩定性・不定性・無種性)を説いて決定性を認める唯識法相教学の種性論とは異なる。
@小乗定根
A小乗不定根 <入初教>
B小乗・初教不定根 <入終教> |
大小相対 |
約教 |
| C漸教(初教・終教)不定根 <入頓教> |
漸頓相対 |
| D頓教定根 |
E三乗(初教・終教・頓教)定根
F三乗(初教・終教・頓教)不定根 <入同教>
G三乗(初教・終教・頓教)不定根 <入別教> |
三一相対 |
約乗 |
| H別教(普賢の機─見聞・解行) |
因果相対 |
I果海(証入)
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※小乗根は初教や終教には進めるが、直接頓教や一乗に進むことができない。
初教根は、直接頓教や一乗に進むことができる。
大乗の根のみが一乗に進むことができる。
1.小乗に定まる根
・釈迦一代の教説は小乗のみに限ると見る機根。
・小乗の諸部派に執着して、大乗を信じない。
2.小乗に定まらない根 → 大乗初教に進入する
・小乗から回心して大乗初教へ進む機根。
・如来は初めに小乗の法輪を転じて外道を廻し、後に大乗始教の法輪を転じて小乗を廻すと見る。
・『中論』等(※註@)
3.小乗と初教に定まらない根 → 大乗終教に進入する
・小乗および初教から回心して大乗終教に進む機根。
・『解深密経』等(※註A)
4.漸教(初教・終教)に定まらない根 → 大乗頓教に進入する
・漸教から回心して頓教へ進む機根。
・『維摩経』(※註B)
5.頓教に定まる根
・頓教に安住し、頓悟の機が熟した者。
・4が漸入の機であったのに対して、これは直入の頓機。
・寂滅道場における正覚成就より鶴林涅槃まで、一字も説法は無いと見る 頓教絶言の機。(二夜中間不説一字)
・四巻『楞伽経』・北本『涅槃経』(※註C)
6.三乗(初教・終教・頓教)に定まる根
・釈迦一代の教説は始終同じく三乗を説くと見る機根。
・三乗教法とは、三乗いずれの機根が聞いても各々利益がある法。
・初教・終教・頓教の各機根の人は、三乗教法を聞いて各々に理解する。
・密迹力士経・大品般若経は教起前後の同時異処所引に同じ。←『通路記』
・「大品経」「密迹力士経」(※註D)
7.三乗(初教・終教・頓教)に定まらない根
→ 同教一乗に進入する
・三乗から回心して同教一乗へ進む機根。
・無盡法界に達するのに智廻向が必要。
・自己が得た三乗法はすべて一乗無盡の教に依って起こったものであり、方便であると知る。(一仏乗に於いて分別して三を説く)
・教起前後の一乗三乗同時の説に対応。
・華厳経の同教の中に説くが如し
※ 宋本のみ「会三帰一等の如し」とする)。
※「華厳経の同教」とは、舍利弗が六千比丘を回心させることを説く入法界品(T9,686c23-687b05)の説を指す。←日本伝統説
均如は、法華を以て華厳の同教とするからこのように言うのであって、華厳の門相を同教と言うのではないとする。
・法華の廻三入一。(宋本にこの言なし)
8.三乗(初教・終教・頓教)に定まらない根
→ 別教一乗に進入する
・三乗から同教一乗を経ずして直ちに別教一乗に進む機根。
・所得の三乗等は本来的に別教一乗に異ならないと見る。
(ただし、一相一味において領解するのみ ←希迪『集成記』。)
・会三帰一等の如し。
※宋本では「法華経の同教説の如きもの是れなり」とする。
※高麗本の一本(義天編纂高麗続蔵本?)では、「如華厳同教中説」とする。(『通路記』所引『集成記』T72・435b/『纂釈』日仏全11・207)
※均如本は和本に同じ。なお、均如は「本来別教一乗に異ならず」というのは、三即一の意味だから会三帰一というのであって、具体的な経文を指すのではないとする。
9.別教一乗の普賢の機(普賢教の分斉、見聞・解行)
・華厳経中の別教。
・三乗を経ずして直ちに別教一乗へ進む機根。
・釈迦一代の教説はすべて第二七日の海印定の中に説き尽くしていると見て、別教一乗を理解する者。
・見聞・解行の二生。
10.別教一乗の果海の機(一乗入証の分斉、証入)
・第九門と同じく別教直入の機根であるが、第九門が見聞・解行の二生までを対象にしているのに対し、ここでは証入の機根を対象にしている。
・9までは因位、10は果位。(※註E)
(※註@)
『中論』巻一「観因縁品」(資料1)
「先ず聲聞の法の中に於いて十二因縁を説く。又た已に習行し大心有りて深法を受くるに堪えたる者の為に、大乗の法を以て因縁の相を説く。所謂、一切法は不生不滅、不一不異等、畢竟空にして所有無し。」
(大正蔵30・1b)
※八不中道=不生亦不滅・不常亦不断・不一亦不異・不生亦不滅によって明かされる中道の立場。
(※註A)
『解深密経』巻二「無自性品第五」
爾時。勝義生菩薩。復白仏言。世尊。初於一時。在婆羅斯仙人堕処施鹿林中。惟為発趣声聞乗者。以四諦相。転正法輪。雖是甚奇。甚為希有。一切世間諸天人等。先無有能如法転者。而於彼時。所転法輪。有上有容。是未了義。是諸諍論。安足処所。世尊。在昔第二時中。惟為発趣修大乗者。依一切法。皆無自性。無生無滅。本来寂静自性涅槃。以隠密相。転正法輪。雖更甚奇。甚為希有。而於彼時。所転法輪。亦是有上有所容受。猶未了義。是諸諍論。安足処所。世尊。於今第三時中。普為発趣一切乗者。依一切法皆無自性無生無滅。本来寂静自性涅槃無自性性。以顕了相転正法輪。 (大正蔵16・697a-b)
※三時教=@第一時:有 教四諦相 (『阿含経』)
A第二時:空 教一切無自性 (『般若経』)
B第三時:中道教三性三無自性(『解深密経』)
『十二門論宗致義記』『起信論義記』『探玄記』では、深密の第二時と第三時と義理においては浅深は無いが、機を摂するについて寛狭の差別があるとする。すなわち、第二時は菩薩のみを摂し、第三時は三乗の機を普く摂すとし、したがって第二時と第三時の相違が生じるとしている。
玄奘の三時教=@転法輪小乗法・四諦を説く。
A照法輪大乗法・諸法の空を説く。
B持法輪大乗法・三性と真如不空の理を説く
戒賢の三時教=@小乗の法を説く。人空を説いて法空を説かない(四阿含)
A遍計所執性に依って諸法の空を説く。依他・円成の唯識の道理を説かない(般若)
B大乗正理に就いて三性三無性などの唯識二諦を説く(深密)
智光の三時教=@小根のための小乗法。 心境倶有を明かす。
A中根のための法相大乗。 境空心有の唯識の道理を明かす。
B上根のための無相大乗。 心境倶空・平等一味を説く。
(※註B)
『維摩経』巻中「入不二法門」
問文殊師利。何等是菩薩入不二法門。文殊師利曰。如我意者。於一切法。無言無説。無示無識。離諸問答。是爲入不二法門。於是文殊師利。問維摩詰。我等各自説已。仁者當説。何等是菩薩入不二法門。時維摩詰。默然無言。文殊師利歎曰。善哉善哉。乃至無有文字語言。是眞入不二法門。
(大正蔵14・551c)
(※註C)
四巻『楞伽経』巻三「一切仏語心品」
大慧復白仏言。如世尊所説。我従某夜得最正覚乃至某夜入般涅槃於其中間乃至不説一字。亦不已説当説。不説是仏説。(中略)是故説言。我従某夜得最正覚。乃至某夜入般涅槃。於其中間不説一字。亦不已説当説。
(大正蔵16・498c〜499a)
北本『涅槃経』
若知如來常不説法。亦名菩薩具足多聞。何以故。法無性故。如來雖説一切諸法常。無所説。是名菩薩修大涅槃。
(大正蔵12・520b)
(※註D)
「大品経」とは、次掲『大智度論』巻六十五「釈無作実相品」の取意。『大智度論』の所釈の経である『大品般若経』の説として出している。
初轉法輪,八萬諸天得無生法忍、阿若?陳如一人得初道。今無量諸天得無生法忍,是故説第二法輪轉。今轉法輪,似如初轉。問曰:今轉法輪,多人得道,初轉法輪,得道者少,云何以大喩小。答曰、諸佛事有二種:一者、密;二者、現。初轉法輪,聲聞人見八萬、一人得初道,諸菩薩見無數阿僧祇人得聲聞道,無數人種辟支佛道因縁,無數阿僧祇人發無上道心,無數阿僧祇人行六波羅蜜道,得諸深三昧陀羅尼門,十方無量衆生得無生法忍,無量阿僧祇衆生從初地中乃至十地住,無量阿僧祇衆生得一生補處,無量阿僧祇衆生得坐道場,聞是法疾成佛道。如是等不可思議相,是名密轉法輪相。(大正蔵25・517a-b)
「密迹力士経」とは、以下に提げる『大宝積経』巻十一「密迹金剛力士会」(大正蔵11・64c)。ただし、凝然『通路記』所引の観復『五教章析薪記』が提げた『大宝積経』の文は現行本とは文が異なる。凝然は法蔵が見たテキストは密迹力士会のみを別行した単行経典(西晋竺法護訳)とする。
即大寶積經、第三密跡力士會{起第八巻。正當第十巻末、第十二巻初、而清涼指第八巻者、但指此會起於第八爾}。第※(01)十巻末云、佛降魔竟。夙夜七日、悉存法樂。觀佛道樹、不以爲厭。目未曾?、百千天來供養、發無上意、百億四王、各獻鉢已。佛悉受之、使諸天王、各不相見。各爲如來、獨受我鉢、提謂波利、五百賈客上?、八万四千諸天、悉貢供養、佛悉受之。各不相見、一一各爲獨受我供養。餘無進者、以是忻豫。逮不退轉、然後當得無上正眞之道、爲最正覺度衆危厄{即今文中、佛初成道七日思惟已也。第十二巻初云}。菩薩往詣佛樹、以成佛道、未轉法輪。開導衆生、巍巍如是。所化無量、多於初發行道時、心及坐佛樹、所濟衆生。豈可此言哉。妙戒梵天王。與六十八萬億該百千眷屬、勸佛轉正法輪等、佛既許已。梵王詣波羅奈、鹿苑之野。~仙所遊、布師子坐、高三千二百八十里。若干種品、文飾微妙、衆珍嚴校。更有十億焚天、十億天帝、十億百千※(02)非?諸菩薩、亦布師子座、高廣倶等。※(03)各念如來、常坐我座、轉於法輪、佛詣鹿苑坐師子座。一一各爲独坐我座、坐已十方佛土六變、平等如掌。六道衆生、悉皆蒙u。十方諸佛世界、不可計數菩薩、來聽佛説經。大千界中、八部皆集。光遍大千世界。無如毛髪※(04)空不周者、皆同一心、咨受大道。于時如來、偏轉法輪、隨時之宜、從衆生心、各各得解。乃至其可聲聞、不樂縁覺、不志聲聞。若慕二乘、不説大乘。若宜大乘、聞其義趣、不好二乘。如来以斯、隨衆生心所可愛樂、而轉法輪、各令得所。釋曰、以此對文、居然可見。故云、乃至廣説、如彼経中。(『通路記』巻十七所引の観復『五教章析薪記』、大正蔵七二・四二五b二九〜四二六a三)
※(01)「十巻末」→「十一巻末」(東大寺『通』)。
※(02)「非」字、『通』原本註曰「密迹無非字」。
※(03)「各」→「各一」(東大寺『通』)。
※(04)「空」→「穴」(日仏全『通』)。
『大宝積経』は菩提流志三蔵(572?〜727)の訳出に係るが、『開元録』によれば菩提流志は長寿二年(693)に洛陽に着き、同年に仏授記寺や大周東寺で訳経に従事。その間に義淨とともに実叉難陀の八十巻『華厳経』の訳出を助けてもいる。神竜二年(706)西崇福寺に訳場が設けられて『大宝積経』一二〇巻の訳出および編纂事業がなされ、先天二年(713)に完成。法蔵(643〜712)はこの訳場で証義として列名している。つまり、三蔵来夏の時に法蔵は51歳、『大宝積経』訳出開始時は64歳、その完成時は示寂一年後となる。
(※註E)
南宋代の師会『復古記』では、証入果海とは、因門に属したもので究竟終極の仏果の果海のことではないとし、普賢因人の証入する果海を明かしたものだから、この果海までが普賢因分の所証であるとする。しかし、北宋代の道亭『義苑疏』では、証入果海は究竟の果海に通じるとする。何故なら、因門の果海も究竟の果海を離れないからである。因人証入のところは即ち究竟果海であると解釈している。師会の解釈では、因分の果海と果分の果海との二種の果海を立てねばならなくなり、日本の伝統教学では、道亭説を採る。なぜなら、第六教起前後の理由を機根の差別によって説明している箇所であるから、師会は因門に約して説いたのであろうが、そのように解釈すれば、果海に因分と果分との違いがあることになってしまう。したがって、ここで言う果海とは、果分の果海に他ならない。(←『頴川録』)
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