そして奥へ進もうと食堂の裏へ回ると "弁慶鏡井戸" というものがありました。
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修行中の弁慶が顔に落書きされて、それを知らない弁慶はなぜみんなが笑うのか?と、
この井戸に顔を映してみると落書きされていたことに気付きます。
そして...怒った弁慶は円教寺を焼き尽くしてしまったそうです。
弁慶が円教寺に放火してここを飛び出したという話は前から知っていましたが、
その原因が顔の落書きだったとはここで知りました。
新しい発見をして嬉しく思いながら歩いていくと "奥の院"
が見えてきました。
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ここまで来ると人も絶え絶えで静かな場所になります。
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円教寺開山の性空上人を祀るこのお堂は "開山堂"
(奥の院)です。
そしてこのお堂の軒下4隅には、左甚五郎作の力士像というのがありました。
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この力士像...怖いです(^^;
しかもこの力士像の彫刻のうち、
西北隅の一つはあまりの重さに耐えかねて逃げ出したという伝説があるそうです。
どこに行ったのかな...(笑)
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そして歴史を感じさせるこの塔は "和泉式部の歌塚(宝篋印塔)"
です。
この塔が建っている場所は、
開山堂の裏、それもすぐ横に境内の敷地はここで終わり!という感じで柵がたっていました。
寂しい場所でひっそりと長い時間過ごしてきたんだなぁ...とちょっと感慨深く思いながら...
歌塚には鎌倉初期の年号 "天福元年十月二十六日"
と刻まれているそうです。
| 和泉式部と性空上人 性空上人の教えを受けたくて中宮彰子と共に和泉式部は書写山を訪れます。 しかし権勢を好まない性格の上人は居留守を使い面会を避けました。 ひどく失望した中宮は仕方なく下山しますが、 傍にいた和泉式部が自作の歌を上人へ届けます。 暗きより 暗き道にぞ入りぬべき 遙かに照らせ 山の端の月 この歌に感動した上人はすぐに中宮を呼び戻し、 日は入りて 月はまだ出ぬたそがれに 掲げて照らす 法の灯 という歌を送り返しました。 そして中宮一行に仏の道を説いたということです。 |
ということで奥の院まで来たので後は来た道を戻ります。
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これは "護法堂拝殿" です。
弁慶がこの書写山で修行していたことから "弁慶の学問所"
と呼ばれているようです。
本殿(護法堂・写真右奧)と拝殿(このお堂)が離れて建っている建築様式というのは珍しいとのこと。
その辺はよく分かりません(^^;
そしてまた長い長い道のりを歩いて戻っていきました。
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ロープウェイ山頂駅まで戻ってきて展望台から姫路市内を一望しました。
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そうして再びロープウェイに乗って山麓へ降り帰路についたのでした...
以上、これで書写山円教寺レポを終わります。