旧・長野県木曽郡日義村、現在の長野県木曽郡木曽町...ここは平安時代の武将、源義仲(木曽義仲)が幼少の頃を過ごした場所です。

義仲の菩提寺「徳音寺」・資料館「義仲館」・義仲と巴の遊び場所「巴が淵」を訪れた時の写真です。

 


まずは木曽義仲について。

源義仲は、1154年(久寿元年)に生まれました、幼名・駒王丸。
生誕地は、武藏国大蔵。現在の住所でいうと埼玉県比企郡嵐山町。

父は源義賢(よしかた)、母は小枝御前。

義仲が2歳の時に父・義賢が甥の悪源太義平の謀反により殺されてしまいます。
日頃から自分の身に何が起きても嫡男の義仲は命が助かるようにと、
本家とは別に離れた家を持ちそこで義仲と母が暮らしていました。

斎藤別当実盛に遺言を残し命を絶った父・義賢

 「義仲を追っ手の届かぬ遠い地へ連れて行ってほしい・・・」

義賢の遺言を胸に秘め斎藤別当実盛は義仲をどこへ逃がすか考えます。
そこで候補に挙がったのが木曽の中原兼遠のところ。
兼遠の妻が義仲の乳母だったこともあり最も適した場所はここしかないと考えます。
義仲は母と共に斉藤別当実盛の協力を得て命からがら木曽へと逃れます。
そして中原家のお世話になったのです。

 中原家の家族構成

  父:兼遠 ・ 母:山吹 ・ 長男:兼光 ・ 次男:兼平 ・ 三男:兼行 ・ 長女:巴


木曽という山奥で追っ手の心配もなく過ごせるようになった義仲は、
中原家の4人の子供たちと馬を乗り回したり狩りをしたり川遊びをしたり大自然を相手に悠々と日々を過ごします。


そして元服。

源次郎義仲 と名を改めた義仲は、従兄弟の頼朝が挙兵したことを知ります。
叔父の八幡太郎義家が平氏を倒すため各地の源氏武者に挙兵を促す旅に出ており、この木曽の地にもやってきたのです。
北陸道を西へ向かい京へ向かうべく戦に明け暮れる日々が続きます。


そして...倶利伽羅峠での合戦。

平家方には幼少の頃に木曽へ落ち延びる手助けをしてくれた斉藤別当実盛がいました。
ご存じの通り戦いは義仲軍の勝利に終わりますが合戦後の首実検の時、見覚えのある顔がありました。

斉藤別当実盛です。

とうに70歳を超えているはずなのに髪は黒々としていました。
血を流すため池で首を洗うと髪の黒色がとれて真っ白になりました。
そう...斉藤別当実盛は義仲に落ちぶれた姿を見られたくなくて最後の勇姿を見せようと髪を黒く染めて戦いに挑んだのでした。
それを見て義仲は幼少の頃を思い落涙します。

斉藤別当実盛の首を洗った池は実盛首洗い池として今も現地に伝わっています。


そして念願の京へ。

源氏で初めて京に入った武士でした。
征夷大将軍に任ぜられ、朝日将軍と名乗った義仲。
しかし頼朝の追討軍だった範頼・義経軍に京を追われ、近江国粟津が原で討たれてしまいます。


最盛期には京から北陸道一帯を配下に納め何万もの軍勢を率いていましたが、
最期、逃走の日々を過ごしていたときにはわずか数人しかいませんでした。
歴史の表舞台で颯爽と活躍した期間はわずか2年ほど。


妾でもあり一番の友人でもあり幼少から常にそばにいた巴御前。
義仲と共に最期を迎えようとしますが願いを聞き入れられず義仲の思いもあり泣く泣く落ち延びていきます。

巴御前のその後は諸説ありますがそれもまた歴史の浪漫としてそっと胸に秘めておくのもいいのかもしれません。

 以上、義仲の一生を簡単に書きました。もっと書きたいことはあるのですが2ページぐらい必要なので簡潔に(笑)


 義仲と巴は幼少は遊び友達として。思春期を迎えると、ごく当たり前のように恋仲になりました。
 そして側室してずっとそばにいるのでした。義仲があえて正妻にはせず側室として迎えたのです。

 義仲と共に戦場を駆けめぐった女武者として有名ですね。
 実際とても強かったようです、この頃は華美な戦いをしていましたので、巴が自ら一騎打ちを挑んだ事もありました。

 常に義仲のそばにいて共に戦い共に笑い、泣き...平安の世を生きた義仲と巴。
 木曽日義村は今も2人が馬に乗って駆けめぐる姿が見えてくるようなそういうところです。


木曽義仲資料館「義仲館」


 

 「義仲館」は、「よしなかかん」ではなく「よしなかやかた」と読みます。義仲のことが詳しく紹介されています。

 右の写真は義仲と巴の像...とっても凛々しく堂々とした姿です。

 

 源氏の白旗がはためいていました。

 


義仲菩提寺「徳音寺」


 

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 とっても静かな落ち着いた雰囲気のお寺でした。

 宝物館もあり無料で見学できます。
 義仲肖像画や後白河法皇の征夷大将軍任命勅書など貴重な資料がありました。

 

 墓所は境内奥にあります。
 写真のように階段の上に中原家の方々と共に眠っています。

 

 左:義仲のお墓 右:巴のお墓

巴の墓碑に龍神という文字が見えます。

これは巴を身籠もったときに母の山吹が「巴が淵」の "龍神" が夢に出てきたという話があり、
巴が淵の龍の化身として巴が生まれたといわれています。

 

 境内の巴幼少の像です。記念撮影ポイントらしいです(^^)

馬に乗っている巴の像ですが、馬術はかなり優れていたようです。
木曽駒高原を義仲と共に馬を駆って競争などしていました。

 


義仲・巴の遊び場所「巴が淵」


 

 淵のそばに碑が建っていました。時の流れを感じさせるとてもいい色をしていました。

 

 これが「巴が淵」です。義仲・巴をはじめ中原家の子供たちの遊び場所でした。
 岩から飛び込みなども競っていたようで左端に見える岩がそうかなぁ・・・なんて見ていると、
 今にも笑い声が聞こえてきそうなそんな気がしました。

 墓所のところにも書きましたが巴はこの「巴が淵」の龍の化身といわれています。
 とても泳ぎは上手だったようです。

 とても流れが速いところで渦とかも巻いていたのでこんなところでよく泳いでいたなぁ...と。

 

 以上...写真は数点でしたが木曽義仲・巴の紹介をしました。またいつか訪れたいと思うとてもいいところです。

 機会があれば是非訪れてみてください。