・・・但 馬 の 史 都 出 石・・・

 

 出石町の歴史は古く、

 古事記・日本書紀では「天日槍命(あめのひぼこのみこと)」「出石乙女」の神話ゆかりの地と言われ、

 室町時代には6分の1殿と呼ばれた守護大名「山名氏」の本拠がありました。

 その後、小出氏・松平氏・仙石氏と国主が変わり、

 明治維新を迎えた出石は鉄道の敷設を拒否したため経済が衰退傾向となりますが、

 これが幸いしてか出石町は大きな開発の波から逃れ、

 但馬地方一の宿場とされた古来よりの雰囲気が今でも残るとてもいい町です。



 出石町の名物は、手打ち皿そば「出石そば」・国の伝統的工芸品にも指定されている「出石焼」

 沢庵和尚が考案した「たくあん漬け」・ちりめん・鞄・杞柳製品などがあります。

 三月には初午大祭・四月には桜祭り・八月には愛宕の火祭り、

 十月の秋祭り・十一月のお城まつりなどのイベントも数多く開催されています。


 出石には見所もたくさんあり、まさに歴史と観光の町です。

  ・藩士の登城を告げた辰鼓櫓

  ・日本三大騒動のひとつと言われる "仙石騒動" の発端となった家老・仙石左京の屋敷、家老屋敷

  ・たくあん漬けを考案した沢庵和尚ゆかりの宗鏡寺

  ・"祇園精舎の鐘の音・・・" で有名な平家物語に出てくる沙羅双樹の花が初夏に咲き乱れる経王寺

  ・桂小五郎が潜伏したところが七ヵ所

  ・おりゅうの悲恋の舞台となったおりゅう灯籠

  ・昭和43年に二つの隅櫓が、平成6年には登城門と登城橋が復興された出石城

  ・町が誘致した「出石グランドホテル」は天皇陛下がお泊まりになりました

 

〜〜〜出石町地図〜〜〜

JR山陰本線豊岡駅・八鹿駅・江原駅下車で出石行きバス約30分。

出石町観光協会観光案内所 TEL:0796(52)4806

 


 

 全国一のそば専門店の数

 出石を代表する味覚「手打ち皿そば」は、
 宝永3年(1706)に信州上田・仙石越前守政明と出石城主・松平伊賀守忠徳の国替えのときに、
 仙石氏がそば職人を連れてきたことと藩主の発案により出石焼きの小皿に盛り付けた特色ある様式が生まれました。

 白い出石焼の小皿(直径約10cm)に盛り付け、5皿1組で1人前、追加は1枚から注文できます。
 そばつゆは各店独自のダシが特徴で薬味は "ネギ・山葵・とろろ・卵・大根おろし" などをつゆに入れて食べます。

 箸を立てた高さ(約15cm)までお皿が重なるぐらい食べると "そば通" と言われるとか...

 三タテという "挽きたて・打ちたて・ゆがきたて" が出石そばの信条でコシがあり味深いのが出石そばです。

 宝永3年の10月の秋祭りから翌年3月の初午大祭までの半年間、
 藩から許可をもらった2軒の店が夜だけの営業をしていたのが町内のそば屋の始まりといわれ、
 周遊地に指定されてからの観光客増加と、ちりめん業界の不況によりそば屋に転職したことなどから、
 現在では町内に約50件の出石そば屋が出来ています。

 人口1万1千人程の小さな町に対してそば屋の数が50件。このことから全国一のそばの町と言われています。

出石そばとはこういうものです

 


 

 辰鼓櫓 (しんころう)

 旧出石城の大手門跡にある旧藩時代の太鼓櫓、出石のシンボルです。

 藩士が出石城に登城する合図として辰の刻(午前8時)に太鼓が鳴らされ、形が鼓に似ているところから辰鼓櫓と呼ばれています。

 現在の辰鼓櫓は明治14年に時計台に改造されているため中に入ることは出来ません。

 前には池があり鯉が悠々と泳いでいます。

町の中央に位置する辰鼓櫓(しんころう)

 


 

 出石城

 役場の横手にあり有子山の裾野に建つお城で、
 天守閣を持たず本丸の藩主居館と二の丸の建物が廊下で結ばれていました。
 明治に城は取り壊されているため正確には出石城跡ということになりますが、
 昭和43年には本丸に二階隅櫓2基と土塀が復興されています。

 慶長9年に小出吉英が有子山北山麓に二の丸・本丸・稲荷郭を梯郭式に配した平城を築いたのがはじまりで、
 元禄15年に松平忠徳による三の丸を含む拡張工事によるものが現在の出石城です。

 三の丸跡の出石町役場には土塁が残っており、大手門跡には内堀と石塁が少しだけ残っていて辰鼓楼もその一部です。

 出石城後方の稲荷郭には157段の石段上に37の朱色の鳥居が並ぶ稲荷神社が建立されており、
 後方の有子山頂(321m)には室町時代の但馬守護・山名氏が築城した有子山城跡があり出石町の展望が望めます。

 桜の名所でもあるので春には満開の桜と真っ赤な鳥居、目を見張るほどのお城の白さが鮮やかです。

 


 

 有子山城跡 [別名:高城跡(たかしろあと)]

 天正2年(1574)山名氏の本城であった此隅(このすみ)山城にかわって標高321mの有子山山頂に築城されました。

 父の山名氏政が築いた此隅城でしたが山名祐豊の代に豊臣秀吉に攻められ落城したために築城されたのが有子山城。
 此隅城の名が "子盗(こぬすみ)" とも読めるのを嫌って "有子(ありこ)" と命名されました。

 しかし、そのわずか6年後の天正8年(1580)織田信長軍によって落城したため山名氏は因幡に出奔します。
 その後、織田方城主の管理となりますが江戸時代に入り小出氏の出石城築城により有子山城は廃城となったのです。

 現在は三の丸・二の丸・本丸などの主要な郭や石垣、堀切などが残るだけで、兵どもが夢のあと・・・といった風情を思わせてくれるそんな城跡です。


  ・・・山名氏・・・

  室町幕府において侍所の長官に任ぜられる最も有力な大名の1人で、明徳の乱・応仁の乱では中心勢力として関与した。
  但馬国は南北朝の初期以来、山名氏の根拠地であり南北朝後半〜戦国時代までは守護職の地位にあった。

 


 

 出石神社 [但馬一宮・旧国幣中社](国指定重要文化財・脇差所蔵)

 創立年代は不明ですが貞観元年(859)の三大実録には但馬第一の大社と名が残っています。
 但馬開発の祖・神天日槍命(あめのひぼこのみこと)を祀り国土開発の祖神として崇められています。

 出石町の中心街から北へ約2kmの宮内地区にあり、山名氏の此隅山城もこの近くにあります。

 


 

 経王寺 (きょうおうじ) [日蓮宗]

 旧京街道の右手に建ちお城のような建物と鮮やかな白さののお寺です。
 春には桜が咲き乱れ、初夏には平家物語で有名な "祇園精舎の鐘の音・・・" に出てくる沙羅双樹の花が咲きます。

 近くには出石藩藩校だった「弘道館跡」の石碑、東京大学初代総長の「加藤弘之」博士の生家があります。

 


 

 宗鏡寺 (すきょうじ) [臨済宗大徳寺派]

 元々は山名氏の菩提寺で宮内地区にありましたが、有子山城築城と共に移築され、
 一族滅亡後は荒廃していましたが、元和2年(1616)に沢庵禅師(たくあんぜんし)が再興しました。

 別名で沢庵寺(たくあんでら)とも呼ばれる宗鏡寺の沢庵禅師は出石生まれで、たくあん漬けを考案した人です。
 それと共に宮本武蔵の師でもありました。

 禅師の手による名園は県指定文化財になっており昭和43年には沢庵禅師が愛した庵投渕軒が復元されています。

 


 

 出石焼

 地場産の良質な陶石と透き通るような白さ、繊細な彫刻が特徴で、国の伝統的工芸品に指定されています。
 花器や茶器・酒徳利などがあります。

 出石焼の創始は古く、垂仁天皇の時代と言われていますが、磁器として出石焼が焼かれたのは江戸時代に入ってからで、
 明和元年(1764)に泉屋治良兵衛が「土焼窯」を始めたのが最初という説と、
 天明年間(1781〜1789)の長谷治郎兵衛と伊豆屋弥左衛門による「土焼窯」が始まりという説があります。

 町内には約8件の工房があり、お土産屋にも並んでいます。
 その姿は混じりけがなく目を見張るほどの白で見る人の心が和むような、そんな名産品です。

 


 

 明治館

 明治25年に建築され当時は郡役所でした。
 今は記念館として保存されており様々な催しに使用されています。