
実家の加古川市へ帰郷中、田舎へ行った時に運命の如く巡りあった史跡をご案内します。
ところは兵庫県養父市八鹿町(ようかちょう...ここが田舎)から車で約30分の出石町(いずしちょう)
この町は兵庫県の北東部に位置する人口1万1千人余りの小さな城下町で、
江戸時代には但馬地方で経済の中心的な役割を担っていました。
歴史観点から町の遍歴を見れば...
文禄4年(1595)に小出吉政が有子山城に入城して慶長9年(1604)に小出氏が藩主となります。
その後、元禄9年(1696)までは小出氏が藩主を勤め、元禄10年(1697)に松平忠徳が武蔵国・岩槻より入封。
宝永3年(1706)国替えで信州上田より入封の仙石氏が明治維新までの藩主となりました。
この時に仙石氏がそば職人を伴い出石入りしたことによって名物の"出石そば"が出来ました。
これより桂小五郎潜居の地・出石レポートです
出石町と自分との関係は、田舎が八鹿町で隣町が出石町だということ。
母の弟の奥さんが出石町の生まれで夏休みに昆虫採集したり、冬の出石で雪遊びしたり、と、昔からよく遊びに行っていたこと。
出石という町がどれだけ知られているのか分かりませんが、
今回良い巡り会いをしたことでこうやって紹介する事が出来ました。
今回行ったのは、
出石そば屋 「本家よしむら」 「桂小五郎居住跡」
「出石町立史料館」です。
主にこの3カ所を中心に書いていきます。
田舎へ行く18日の往路途中、ひとつ手前の町 「養父町」 の国道9号線沿いに看板が立っていて、
チラッと見ただけでその場所には行かなかったのですが、
勤王の志士 "中島太郎右衛門" "黒田(???)"
とかいう二人だと思います。
名前は完璧に憶えてないので違うかも知れませんけど、そういう石碑がある場所を見つけました。
"桂小五郎" も養父町の "昌念寺"
に隠れて住んでいた時期がありました、その「養父町」です。
そして19日には祖母と母と3人で出石町を含め遊びに行きました。
それでは・・・桂小五郎潜居の地・・・本編です。
長州藩が蛤御門の変(元治元年・1864)で破れた際に "桂小五郎"
は、この出石町に逃れて来ました。
そして小間物屋を営んで密かに隠れていたのです。
小学校の頃から田舎にいくたびに訪れていましたが今回はじめてその史跡を見つけました。
とはいっても最近竜馬に興味を持ったから知ったのですが。
そしてこれはまさに偶然の出来事、
小学校以来からいつも行っている出石そば屋 「本家よしむら」
が "桂小五郎の居住跡" だったのです。
そば屋へ歩いていく少し手前の交差点脇の看板に "桂小五郎居住跡"
と書いてあり、
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そば屋と同じ方向だなぁ...なんて思い、その方向の "宵田通り(よいた)" を歩きながら、
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まずは先にそば食べよう!とそば屋に行くと隣に石碑がありました。
これには正直驚き...今まで気がつかなかったのが不思議なぐらい...
現在の建物は当時のものではなく住居そのものは残っていませんでしたが、
出石町だけで7カ所の隠れ家があったと言われています。
桂小五郎居住跡
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・・・看板の説明書き・・・
桂小五郎居住跡(荒物屋跡)
元治元年(1864)七月禁門の変に敗れた長州藩は朝敵となり桂小五郎も追われる身となりましたが、
出石の町人甚助・直蔵兄弟の義侠により京都を脱出し町内各所にかくまわれていました。
当家は荒物屋を営んでいた跡です。愛人の幾松も訪れています。
潜居九ヶ月、九死に一生を得た小五郎はやがて回天の大業を為し遂げ木戸孝允と名を改め、
維新の三傑と仰がれましたが、この出石こそ桂小五郎の再生の地となったのです。
出石町観光協会
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そして、これがそば屋「本家よしむら」
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お昼には行列が出来るほどの人気のお店です。
撮影時は午後1時過ぎでお客の入りも落ち着いていました。
そしてこれもまた今日はじめて見たのですが、
そば屋の座敷にも "桂小五郎潜伏の地"
という説明書きが!
重厚な木の額というかそういうものに書かれていました。
幸いこの額のある部屋だったので間近に見ることが出来ました。
しかし...いつも大体この場所に座るのに気がつかなかったのが不思議なぐらい...
そば屋「本家よしむら」店内の"桂小五郎潜伏の地"説明書き
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桂小五郎潜伏の地
明治維新三傑の一人山口藩士木戸孝允の
まだ桂小五郎と名乗っていた元治元年蛤御門の変に敗れて但馬出石町に潜伏した。
その手引きをしたのが出石の住人広戸甚助であった。
但東町大畑の出石藩関所をうまくのがれ出石町宵田に店を借り
広江屋孝助と名乗って小間物商を営んでいた。
慶応元年四月八日には出石町を去って山口に帰っているが
その潜伏地に記念碑が建ち出石名物の「そば屋」本家よしむらに成っている。
このほかにもかくれ家が町内四五カ所にある。
小五郎捜索のため京都から新撰組が繰り込んだといわれ妻幾松もいくどかここを訪れている。
当時出石藩は佐幕派だったためその他にひそみかくれていた小五郎の変装の妙は
いまだに出石住民の話題となり語り草となっている。
「但馬考」
但馬国出石町宵田
出石皿そば本家よしむら
三代目店主 吉村芳史
それから出石町立史料館へ行きました。
するとここでも桂小五郎に関していろいろと見ることが出来ました。

出石町立史料館入館券です。
左:仙石家家紋「永楽通宝」 右:仙石家家紋「丸に無」
桂小五郎の写真があり、奥さんの写真があり、
藩主に変わり桂小五郎が代筆したという巻物、その他2、3点の本人直筆の書き物などがありました。
そのほかに藩主(仙石氏)の甲冑や槍・刀などの武器、出石藩札、豊臣秀吉の書状や徳川家康の書状、
明治維新を告げた立て札(慶応4年のもの)までも展示されており歴史ファンにとっては宝の山でした。
(出石町立史料館は館内撮影不可のため写真はありません)
今回
「竜馬がゆく」(司馬遼太郎さん原作の小説)を読んで出石が関係あったことは知っていましたが、
まさかここまで見れるとは思っていなくてとても嬉しかったです。
こういうわけで幕末に触れることが出来ました。
最後に...
桂小五郎キーホルダーというのも見つけたので、
載せようと思ったのですが小さすぎてデジカメでは撮れなかったので...代わりに直筆のイラストを...
キーホルダーの大きさは本体(小五郎の絵の部分)が親指の爪ほどの大きさです。

これでも必死に書きました(^^;
その後、スキャナを買い、試しにスキャンしてみた小五郎キーホルダーです。

これがだいたい実物大です。