そして頼朝の墓を後にして "若宮大路幕府跡" へ向かいます。

 ガイドブックを頼りに探しながら歩いていき、
 小さな路地にあるようだったのでそれらしいところを探しながら。


 途中、偶然でしたが "土佐坊昌俊邸跡" を見つけました。

 土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)とは、
 鎌倉入りを拒否され京へ戻る義経を討て、と、頼朝が差し向けた追っ手です。
 しかしこの人は逆に討たれて死んでしまう運命なのですが...

 この場所は今では住宅地になっていてこの石碑以外何も残っていませんでした。




[ 史跡・その五 "若宮大路幕府跡" ]


 

 そうして歩いていくうちに "若宮大路幕府跡"は無事見つかりました。

 ここがそうなのですが、往時を偲ばせるものは何もなく、
 路地が入り組んだ住宅地になっていました。


 この若宮大路幕府は、北条泰時が宇都宮辻子幕府(うつのみやずし)から移したものだといわれ、
 鎌倉幕府滅亡までの約1世紀北条氏執権政治の中心地とされています。
 と同時に宇都宮辻子幕府の増改築という云われもあります。

 

 この幕府は若宮大路(段葛のある大通り)に面して鶴ヶ岡八幡宮を北に控えていました。
 そしてこのすぐ南には宇都宮辻子幕府があり、綺麗に手入れされた庭園や池もあり壮大な敷地でした。

 とても今となっては想像できないのですが...

 この幕府があった時代は北条政子も亡くなっており、
 源氏嫡流の将軍制も既になく、北条執権でしたから、
 正直この時代は興味がないのであまり知りません。

 ということでここは、これぐらいにして...

 ちなみにここは、
 ガイドブックの紹介写真とあまりにも違った場所だったのでそっちの方で友人と盛り上がっていました(笑)


 次はいよいよ "鶴ヶ岡八幡宮" へ向かいます。

 


それでは次のレポートへ移ります。

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