そして、銭洗い弁財天をあとにして源氏山を登っていきます。
山といっても広範囲が公園になっているので、
長野に住んでいるものとしては山というより丘という感じでした...
ここでは源氏山公園内にある "源頼朝公像"
を見に行きます。
[ 史跡・その十一 "源氏山公園(源頼朝像)" ]
歩いて行くこと数十分...思っていたよりその場所には早く着きました。
ひっそりとして誰もいない敷地に建つ頼朝公。
この頃から少しずつ雨がパラパラと...
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源氏山公園はガイドブック等の写真で見るかぎりでは、
広大な芝生の平地で鎌倉の展望が最高!というのを想像していたのですが...
行ってみると木に囲まれて景色が見えません。
この頼朝像は鎌倉の町を見下ろすように建っている。
と書いてあったので、期待していったのですが...ちょっと残念。
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まぁそれでも...実際に間近で見た頼朝公は凛々しい姿です、やはり鎌倉の大将ですね。
こういう姿での頼朝さんは見慣れていないので新鮮でした。
鎌倉でようやく頼朝公への対面を果たせました(^^)
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鎮座する姿は「よっ!大将!」って感じ(笑)
像の背は高く少し見上げる感じです。
そしてここは頼朝像以外何もないので、対面して写真を撮れば終わりです。
次は "化粧坂(けわいざか)切り通し" へ向かいます。
鎌倉時代の面影が今でも残る場所で、鎌倉七口(かまくらななくち)と呼ばれる七切り通しの一つです。
[ 史跡・その十二 "化粧坂切通し" ]
この化粧坂切り通しは、七切り通しの中でもっとも古い場所です。
自然の地形を利用していた鎌倉が要塞と化した時、
敵の侵入を防ぐ役目を果たしていたのが切り通しです。
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化粧坂切り通しの通り口です。
源氏山自体標高は90m程で低いのですが、
この切り通しは山頂まで一気に駆け上がる狭い急坂の道でした。
当時はとても有効的な道だったと思います。
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切り通しを降りていきます。
いきなりの一枚岩だったり階段状に削られた道。
一歩足を踏み入れるともうそこは鎌倉時代でした。
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一番下まで降りていきました、が関連した説明板など何もなく、
寂れたような標識がひそかに建っているだけでした。
ここは国の史跡に指定されています。
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そして再び上へ。
この日、雨が降っていたため足場はぬかるみ歩きづらくなっていました。
道幅は狭いところではやっと1人通れるぐらい...広いところでも2〜3人。
もっとも戦いの時に防戦を想定して作られたため狭くなっているんでしょうけど。
| この "化粧坂" 名前のいわれは... 戦の時、討ち取った大将の首に化粧を施してここで見分した。という説と、 化粧の厚い遊女が多かったから、とか、 "険しい坂" という言葉が転化した。など、諸説がいろいろあるようです。 元弘3年(1333)には新田義貞の鎌倉攻めがあり、新田軍の主力がここで戦いを繰り広げています。 そのときの場景を思うと、現在のひっそりした化粧坂からは想像も出来ませんがかなり凄まじい戦いだったと思います。 |
甲冑を纏いながらの行軍はとても激しいものだったんでしょうね...
鎌倉という町がいかに自然の地形をうまく利用しているか。
というのがこの場所を訪れてとてもよく分かりました。
そして源氏山をあとにして、鎌倉駅へと戻ります。
それでは次のレポートへ移ります。
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