B公演の内容から 「辞世の句について」

 (本題ではなく余談的な話で聞かせてくれたことです・・・聴いた内容を個人的見解で書いてます)


  まず、辞世の句(ここでは死の間際に詠んだ詩・討たれたりして絶命直前に詠んだとされる詩のことでかきます)
  というものは必ずしも死の直前ではないと言うことです。

  人間が斬られて絶命寸前、果たして余裕を持って詩を詠むことが出来るか...

  公演の先生によると、まず無理だということです。

  歴史実のなかで、よく辞世の句とか死の間際に詠んだ詩なんて記録が残されていますが、
  事実上、死の間際というのは、とてもそんな余裕はなく現在残されている方たちの辞世の句というのは、
  殆どが数年前、もしくは数日前、要するに死ぬ前に詠んだ一番新しい詩のことを指すそうです。

  現在残されている資料の中で、本当に死の直前に書かれたものもあるとは思いますが、
  一般的には、というか現実的に考えてみれば、まずこの行動をとるということは難しいと。

  ましてや、いきなり自分が死を迎えるという時、手元に筆と紙をいつもおいているわけではないので、
  辞世の句・死ぬ間際に詠んだ詩といわれる資料は、このような形で現在残されています。
  こういうことも覚えておいてもらえればこれからそういう詩を見たときに、この話を思い出しながら見れば面白いんじゃないでしょうか。

 と、このような興味深いお話を聞かせていただきました。



 以下は、8月に霊山を訪れた際、霊山歴史館展示物内容を書きとめていたものですが、
 公演を聞いて思い出したので書きまとめてみました。
 いずれも辞世の句とは多少違うものですが、そう呼べるものだと思います。


 ・吉村寅太郎 詩歌

 「吉村寅太郎 詩歌」は、実弟 "熊弥" が兄を偲び寅太郎のうた十九首を書きまとめたもの、として残されています。
 「寅太郎 脱藩時の詩」は、これからの人生いつ死ぬか分からない...ある意味辞世の句と呼べるかも知れませんね。



 ・平野二郎国臣 辞世

 平野二郎国臣・筑前福岡藩の足軽の出で、安政の大獄以来 "京〜薩摩〜筑前〜京" と逃げまわり、
 生野で挙兵しますが、城崎で捕らえられ、その時に詠んだ歌だそうです。
 こういう詩こそ、本来の辞世の句、といえるのでしょうね。



 ・木戸孝允 都々逸

 これは木戸孝允晩年時のうたで、禁門の変での思いを回想してうたったものです。
 現代ではこういうのも辞世の句と呼べるのではないでしょうか...



 公演でこの「辞世の句」についての話を聞いたとき、
 辞世の句とは、必ずしも死の間際に書いたものを指すのではなく、
 その人生でいつ書いたか、どこで書いたか、自分が死ぬ前に書いたものじゃなければならない、
 ということではなく、

 その人生において分岐点に立ったとき、
 自分に対してなにかを思うとき、
 何かを残したい時、

 そういう大きな意味も含めて「辞世の句」と呼べるってことかな?と思いました。

 少々堅い話になってしまいましたがそういうことだと...