島津忠良女(樺山善久室、御隅)
永正8(1511)年〜天正18(1590)年庚寅12月16日<享年80歳>
<略歴>
島津家再興に尽力した島津忠良の次女。没年から逆算すると長女・島津御南と同年の生まれとなり、おそらく双子の妹だったと推測される。長じて「御隅」と名乗る(「旧記雑録」諸氏系譜樺山氏など)が、語源は不明。
島津貴久、義久に仕えた有力武将・樺山善久に嫁ぎ、2男2女に恵まれた。子供達はそれぞれ島津氏の有力武将となり、或いは島津氏と縁戚となり、樺山家の最盛期を形成した。彼女自体も島津本家に対してかなりの権力を持っていたらしく、死去に際しては義久より挽歌をもらったたった2名の女性のうちの1人である(ちなみにもう1人は島津義弘室・宰相殿)。『源氏物語』など文芸に長じ(「諸氏系譜」樺山氏忠助 など)、「和歌の一族」樺山家の妻にふさわしい女性であった。
<年譜>
| 年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
| 永正8 | 1511 | 1 | 薩摩伊作城にて誕生 父・島津忠良、母・島津重久女(御東) |
「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」 |
| 大永6頃 | 1526頃 | 16 | 樺山善久(14歳)と結婚 | 「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」 |
| 乳母など数人の供を連れ、小舟に乗って伊作浦を出港、川上忠克の道案内で夜道をやってきたという、押し掛け結婚であった | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」 | |||
| 天文6 7月28日 |
1537 | 27 | 犬迫村川路山之門を弟・貴久より拝領する | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」 |
| 天文6丁酉 | 長男・樺山忠副を出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」 | ||
| 天文9 | 1540 | 30 | 次男・樺山忠助を出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」 |
| (年度不明) | 長女・喜入式部大輔室出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」 | ||
| 天文17 | 1548 | 38 | 次女・島津家久室を出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」 「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」 |
| 弘治3丁巳 4月28日 |
1557 | 47 | 長男・忠副が蒲生菱刈の戦いの傷が元で戦病死(享年21) | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」 |
| 弘治3 | 忠副の死をきっかけとして出家、尼となる | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」 「本藩人物志」 |
||
| 天正3 3月22日 |
1575 | 65 | 甥・島津義久から大隅国小田名を安堵される | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」 |
| 天正15年頃 正月 |
1587 | 77 | 島津義久から年賀状をもらう | 「旧記雑録」附録2−36 「樺山文書」408 |
| 天正17 | 1589 | 79 | 在京中の次男・忠助に手紙を送る | 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」 |
| 天正18庚寅 12月16日 |
1590 | 80 | 死去 法号「通善周慶大姉」 | 「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」 |