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| ←前月 | 7日 | 久しぶりに
【もっとも危険な読書】高橋源一郎(朝日新聞社) |
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| 9日 | 児童書が好きなのだ
【クリスピン】アヴィ(金原瑞人訳・求龍堂) | ||
| 17日 | 児童書もいろいろ
【床下の小人たち】メアリー・ノートン(林容吉訳・岩波書店) | ||
| 29日 | 人間くさいのがいい
【ライオンハート】恩田陸(新潮文庫) |
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久しぶりに いろいろ忙しくってねえ。っていうのは嘘。なんとなく書いていなかっただけ。なんとなくって?自分でもわからへんねんけど。無理矢理理由を考えてみたら。時間がないときでも読みたい本は読みたい。ちょっとの暇を見つけても読む。読み終えたら、次の本。なにしろ図書館で借りてきた本は本棚にいつでも乗っている。読まれていない本たち。読まれていないのはかわいそうなので、なんとか読んでいこうと思う。一冊読み終えるごとに次の本、次の本と読み進みたくなる。となると、本の感想どころでなくなってきてね。そうこうするうちに本の返却日がやってくる。そして読んでない本も読んだ本も図書館へと帰っていくのでありました。 そして、「どんな本を読んだのか」を忘れてしまうのですな。もちろん本の内容もうろ覚えになって。そうなると感想なんか書けるわけはない。ははは。 が、しかし。それでも。前にも書いたけど「これとこれは読んだ」「これは(だいたい)こんな内容やった」というのを書き残しておきたいという気持ちはあるんですね。 などといろいろ言い訳をしたけれど、つまりは書くのが億劫やったってことだけやねんけどな。今こうやって書いてるってことは。オリンピックも終わったし野球もしばらくやれへんし。ということで時間ができてゆっくり書けるってなもんやね。 さて。先月末から書いてないので、「読んだけど書いてない」本がたまってます。思い出されへんぐらいやな。ま、忘れてしまってたら、ハイそれまでよってコトで。 昔のことを思い出すのより、今の出来事をとにかく書いておこう。今日読み終わった本。高橋源一郎の「もっとも危険な読書」(朝日新聞社)は、週刊朝日に1998年5月から2000年12月まで連載されていた「退屈な読書」を集めたもの。集めに集めたり、全部で130のエッセイが詰め込まれてます。数えたんかい。暇やなあ。 どれも3ページ弱のエッセイで。内容はもちろん本について。物語について。それが小説だけじゃなくて詩やエッセイや、時にはマンガにまで及んでいるところがこの人らしいです。前に読んだのは「小説入門」みたいな本やったな。で、内容が意外にも似通ってる。まあ週刊誌の制約(ページ数)というのもあったんやろうけど、もうちょっと突っ込んでくれても、と言うところで終わってる話も多いけどね。でもこれだけの量になると(全部で400ページ弱)ひとつやふたつやみっつやよっつの言葉足らずがあっても、それはそれで味になるってなモンですな。 トルーマン・カポーティの「叶えられた祈り」(川本三郎訳・新潮社)はカポーティの遺作です。未完です。アメリカのハイソな社会の内幕を、実名入りで描写したことで、カポーティは社交界から追い出されたとか。友達もなくしてしまったとか。でもそんなことでなくなるようなら、友達とは言われへんのではないかと僕は思うんですが。 そんな裏話は、あとがき(本のプロデューサーと訳者と、両方が載っている)に詳しいです。実をいうと、本文よりもこのあとがきの方が面白かった。僕には。本編の方はねえ。なんというか。ただの「ゴシップ小説」か「内幕暴露小説」から、ちょっと出たくらいの印象しか残れへんかったなあ。あ、結局最後まで読まれへんかって、第1章で挫折したんですが。 ある作家が、過去を回想してつらつらと物語をすすめるというのは、プルーストの「失われた時を求めて」とまるっきり一緒で新鮮味がない。プルーストを意識しているのは明らかで、あちらの「一室」にあてはめて、YMCAでの引きこもり状態をつらつらと書いてはる。ううむ。それが面白いと思えるかどうか、やねんな。 ちくま文庫の「怪奇探偵小説傑作集(3)」は久生十蘭の巻。これも途中までしか読んでないなあ。ま、短編集やから、あるまとまったところまでは読んだんですけどね。「黒い手帳」「湖畔」「月光と硫酸」「海豹島」「墓地展望亭」「地底獣国」「昆虫図」「水草」「骨仏」まで。題名をずらっと書いてみると「ああ、こんな話があったなあ」とちょっとだけ思い出せる程度には覚えてるな。探偵小説、というより「探偵趣味」といったところやね。推理小説を読むような「はてなはてな」というところはあんまりなくって。どちらかといえば大衆小説を読んでいるような感じ。江戸川乱歩にも近いけど、そこまでおどろおどろしくもなく。ちょっと気取ったところさえ感じさせますな。それが、いかにも昔風の気取ったところなのが面白い。いや、面白くない、という人も居るでしょうが。 恩田陸の「MAZE」(双葉文庫)は面白かったなあ。前に短編を読んで、話題になってる作家ではあるけれど、こういう本を書くのかと思って、長いものを読みたくなって読んでみた。つまり初めての長編です、僕が読んだ。 アジアの西の方に、白い建築物がある。中は迷路のようになっているらしく、中に入った人が消えてしまうという現象が起きる。もうずっと昔から(伝説になるぐらい)その現象が起きている。その謎を解き明かすべく訪れた4人の男。そして物語は意外な方向へ。という話。 SFなのか伝奇ものなのか。白い建築物の謎は解き明かされるのか。というミステリー風の楽しみがあり(それもSFチックな)、と思っていると話は意外な方向へ(こればっかりやな)。 最終章で「そういうことやったんかあ!」と、解決されるように思われるんやけど、さらに一捻りがあるところが、また。なんというか、面白すぎるよ、恩田陸。 集英社文庫の「短編復活」は、小説すばるの創刊15周年を記念した短編小説集。はっきりいって「玉石混交」。面白いのもあり、つまらないのもあり。どこかで読んだようなものがあったり、「これは誰だっ!」という発見もあったり。こういうのを読むと、いろいろ読むのが楽しいなあ、読書って面白いなあって、改めて思うんですよね。小説すばるは読めへんけど。 やっぱり本は面白い。そして本について書くことも楽しい。これからもちょこっとずつでも書いていこう。楽しいから。 児童書が好きなのだ 市立図書館にはいっぱいあって大学図書館にはほとんどないもの。それが児童書です。大学生は児童書を読まない。そうきまったことではないやろうけど。大学が商業系なので、児童文学とはあんまり縁がないんですな。これが文学部でもあればちょっとは内容が違うんでしょが。まあ市立図書館でかなりの児童書をそろえているので、それで十分なんですけどね。 ともあれ、久しぶりに読んだ児童文学。アヴィという作家のことは全く知らなかったんですが、訳者が金原瑞人さんなので、たぶん外れはないやろうと思って借りたのが「クリスピン」という児童文学です。 舞台は14世紀のイングランド。ある村に名前もなく、「アスタの息子」と呼ばれる少年がおりまして。母親とふたり暮らしなのですが、なぜか村人たちからやや敬遠されて暮らしておりまして。その母親が死んでしまうところから話が始まるんですな。少年の頼りになるのはその村の神父さんだけで。神父さんと二人だけで母親の埋葬をするんですね。 どうして二人が村人たちから敬遠されてたのかという、その謎がまずあるんですが。なぜかその村の執事が、母親が死んだ後、この息子を殺そうとするんですね。息子(まだ13歳の子供)が、わけも分からず逃げることになるんですな。どうやら息子の秘密を知っているらしい神父さんに(この神父さんに「おまえの名前はクリスピンのいうのだ」と言われるんです)助けてもらおうとするんですが、神父さんも殺されてしまうんですね。そのうえ、この息子が殺したことになって、まあお尋ね者になってしまって、しかたなく村から逃げ出すわけです。 ああ、昨日読み終わったばっかりやから、いろんな記憶が鮮明で、こうやっているうちにあらすじを残らず話してしまいそうになるなあ。ここら辺でやめておこうかな。 もうちょっと詳しく書くと、逃げる途中で大道芸人の「熊」に出会って、二人である町を目指すことになるんですね。で、どうやらこの「熊」が、ある企てをもっているらしい。しかもクリスピンの秘密も分かっているらしい。その秘密とは? 途中から、「こういうことではないかな」と思ったとおりの展開になって、ちょっとありがちかなあと思ったけど、結末は全く予想してなくて。面白かったな。さすが現代の文学。普通なら「めでたしめでたし」なんやろうけど。いや、ハッピーエンドには違いないねんけど。なにをハッピーと思うかによるな。というとネタバレになるのか。 雑誌「面白半分」っていうのは聞いたことがあるなあ、と思って佐藤嘉尚の「「面白半分」の作家たち」を読んでみたら、ああ思い出した。野坂昭如の「四畳半襖の下張り」を掲載した雑誌だ。72年に創刊して80年に倒産してるから、まさしく「70年代」を駆け抜けた雑誌やってんなあ。副題に「70年代元祖サブカル雑誌の日々」とあるけれど。「元祖」なのか。 著者は当時の「面白半分」社長。つまりはこの雑誌を作った人。編集長、というわけではないのですね。編集長は半年交替で当時の作家たちが担当していまして。初代が吉行淳之介。そうかあ、そんな雑誌やったんか。 雑誌のありようとか、「四畳半裁判」とか、そういう思い出話的な内容も面白いけど、もっと心惹かれたのは、当時の作家たち個人の思い出やな。吉行淳之介ってこういう人やったんかとか、開高健はこんな話し方やったのかとか。物故した人も多いだけに、なんか感慨めいたものがあるなあ。実はあんまりよく知らないというか、読んだことのない作家の方が多いねんけど。 「児童文学」を久しぶりに読んだけど、いいなあ。子供に戻るってことはないねんけど、子供の頃のハラハラドキドキを思い出して、いい感じ。子供だけに読ませておくのはもったいない、と思ってしまうのです。なにしろ書いてるのは大人なんやから。 児童書もいろいろ そらあね。児童書やったら、なんでもええってことはないです。出来はいろいろ。というより、気に入るかどうかなんかその時の気分もあるし、まあ読んでる自分との相性とかもあるしね。 ノートン作「床下の小人たち」(林容吉訳・岩波書店)は古典的な名作と呼ばれているものですね。だからきっと面白いやろうとおもったんやけど。ああ、確かに面白いけどね。 家の中には「借り暮らし」をしている人たち(小人たち)が居る。床下に限らず。人の目につかないところに。生活に必要なものは、人間たちから「借りて」くる。小人なのでちょっとだけ「借り」ればいい。押しピンがテーブルの代わりになる。吸い取り紙が絨毯の代わりになる、といったぐあい。ただし、人間に見られたら、さあ大変。ネコをけしかけられるかも。ねずみ取りをしかけられるかも。ひどいときは、煙でいぶされたりするかも。そうなると「借り暮らし」もしていられない。アナグマの巣穴に逃げ込むしかない。 そんな小人のうちの娘が、たまたま家に(しばらくの間だけ)居た男の子と仲良くなってしまう。さて、どうなるか・・・。 その男の子の体験談、といった形で話は進むんですな。話し手というか、視点は「借り暮らし」の人たちの視点なんやけど。まあ思ったとおりに話は進んでいって。その展開がちょっとなあ。まあ「古典やから」と割り切ってしまえばいいのかも。だってねえ。家の中に「誰にも見つからないように住んでいる小人が居る」というだけで、本当はステキなことなんですからね。子供にとっては。そう思えなくなってるってことは、もう子供でもいられないってことか。 アガサ・クリスティの「死の猟犬」(小倉多加志訳・早川書房)は短編集。推理小説というより、怪奇小説が多い。心霊現象とか降霊とかそんな話が主。確かに面白い。というか、こういう「話の面白さ」こそ、クリスティの魅力なのかも。 なかで「検察側の証人」は、ワイルダー監督の映画「情婦」の原作。よく「映画と原作とどちらが面白いか」なんていう議論がされるけれど、僕の意見は「どっちも面白い(^◎^)」です。「ほほう」と思わせる終わり方が、小説の方は絶品。一方映画の方は、登場人物の面白さで光ってる。これはもう、別の芸術として見るのがいいでしょうな。 人間くさいのがいい 恩田陸の「ライオンハート」(新潮文庫)は、期待どおり面白かったな。ラブストーリー→すれ違いっていうのを「一方は運命の人だと分かっているけれど、一方は初めて会う」っていう、SF的な要素を含めて書いていましてね。時間のパラドックスとかもあって、ちょっとハラハラしたりドキドキしたり。 普通ならただの「時間のパラドックス」小説になりそうなところを、さすがにきれいな、はかない、感動的なラブ・ストーリーにしているところがうまいなあ。恩田陸にますますはまっていきそう。 ただね。最後の方。ちょっと説明臭くなるところがなあ。惜しいなあ。それと、結末(というのか)が予想できてしまうねんなあ。そんな風に読んではいけないと思いつつもね。でも「そんな風に読んではいけない」と思わせるところが、またうまい、と言えますな。 「ライオンハート」っていう題名は、ケイト・ブッシュのアルバムからとったんだと。それと、各章の構成が、間あいだに「現在」を描写する「プロムナード」を挟んでるところが、「展覧会の絵」みたいやったな。音楽好きなのか。絵にちなんだ章だてから考えると、絵画好きでもあるみたいヤナ。ケイト・ブッシュを聞きたくなったであるよ。 「クリスピン」につづいて、アヴィ−金原コンビの「ポピーとライ 新たなる旅立ち」(あかね書房)は、全くの児童文学。人間が出てきません。ネズミ(キンイロネズミとシロアシネズミ)とヤマアラシとビーバーが、主な登場人物。人物ではないな。 シロアシネズミのポピーが主人公のシリーズの、これが2作目ということらしい。あんまり中身を吟味しないで借りたので、1作目がどんな話なのかは知らなかったんだけど。これを読んでいくうちに大体のことは分かった。1作目では、キンイロネズミのラグヴィードとポピーが恋に落ちる。けれどラグヴィードはフクロウに食べられて死んでしまう。で、フクロウをやっつけたのかな。そのへんは読んでみないとわからないけど。 で、フクロウをやっつけた(として)ときに、力を貸してくれた(らしい)のがヤマアラシのイリーシ。ポピーはイリーシと暮らすことになるけれど、ラグヴィードの家族にラグヴィードが死んだことを伝えないといけないと思い、ラグヴィードの家族を探しに行く。イリーシも、ブツクサと文句を言いながらついていく。このイリーシがとってもいい味を出していて。ずーっと悪態をつきっぱなしなんですね。口を開けば汚い言葉を言うって感じで。でも心の底では優しさを持っていて、しかもポピーに恋をしている(はっきりは言わないけれど)。これ、金原さんの訳も生きてるところやなあ。 で、ようやくふたり(ふたりというのか)はラグヴィードの家族に会うわけですが。その家族(60匹以上いる。そうか、ネズミやったな)は大ピンチに襲われていた。 もともとネズミ家族は小川のほとりに(穴を掘って)住んでいたんだけれど、ビーバーたちがやってきてダムを造り、小川をせき止めて池にしてしまった。おかげで住家は水浸し。引っ越しを余儀なくされるが、ビーバーたちは引っ越した先(ちょっと高台の穴)までも、水浸しにしようと考えるんですな。ビーバーは水が増えれば増えるほどいい。でもそうなるとネズミたちは住むところがなくなる。 ネズミ家族の次男坊(長男がラグヴィードだった)ライが、一人でビーバーに立ち向かおうとするけれど、体の大きさも力も段違いのビーバーには全く歯が立たず、逆に人質にとられてしまう。さて、ポピーとネズミ家族たちは、ビーバーと戦うことができるのか。そして小川を元どおりにすることができるのか。 どうです。立派な冒険小説じゃあありませんか。最後のビーバーとの戦いは、ファンタジーのクライマックスの王道をいく戦闘シーン。手に汗を握る展開です。 小さなネズミたちが、力を合わせて大きなビーバーたちに立ち向かっていくという、まあこれも王道ですが。王道すぎて面白くなさそうになるところなんやけど、登場人物(また人物って言うてしまうな)の性格がそれぞれ魅力的で、とっても面白い。主人公のポピーは、ただカワイくて勇気のある主人公っていうだけじゃなく、ちょっと抜けたところもあるというか、頼りない部分もあるんですね。ライも、一人でビーバーに立ち向かうのはカッコイいとも言えるけど、無謀すぎるともいえるし、なにより夢想家でロマンチスト。長男ラグヴィードに負けまいとして無理もしてる。敵役のビーバーのガナットも、恐ろしい悪役というより、ちょっと強欲な権力者っぽくて。つまりはどれもが「人間的」なんやな。人間じゃないのに。ファンタジーのはずが、とっても身近な物語として読めてしまうのは、そのせいか。 なかでも僕の一番のお気に入りは、やっぱりヤマアラシのイリーシですな。 |