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| ←前月 | 7日 | ちょっとずつでも感想を
【私の中に答えはあるか】内田春菊(角川書店) |
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| 9日 | 分かっていても感動してしまう
【十二番目の天使】オグ・マンディーノ(坂本貢一訳・求龍堂) | ||
| 15日 | いろいろ読みまして
【あの空の下で】フランシスコ・ヒメネス(千葉茂樹訳・小峰書店) | ||
| 22日 | 意外、じゃないんだけど
【詩を書く 〜なぜ私は詩をつくるか〜】谷川俊太郎(思潮社・詩の森文庫) | ||
| 28日 | もう8月も終わってしまうなあ
【ガウディの伝言】外尾悦郎(光文社新書) |
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ちょっとずつでも感想を って、意気込むこともないねんけど。ずっと感想を書いてないからね。 「私の中に答えはあるか」は、まさしく爽快だ。痛快だ。女の目から見た情けない男、情けない家庭、旧態依然とした社会。それらを切り開いていく。 痛快だって書いたけど、実はいらいらするような話ばっかり。答えが見つかってばんばんざい、というわけにもいかないみたい。ああいらいらする。しかし、それぞれの(あ、短編集です)主人公の生き方に(男ながら)共感してしまうのだよ。頑張れ、世の女たち! 内田春菊は初めて読んだけど、いやあ面白かった。 「漱石の孫」は、文字どおりの孫、夏目房之介が、ロンドンで漱石ゆかりの場所を訪ねるという、まあ一応紀行文ということなんやけど、実際は漱石と自分との関わりとか(精神的な)、日欧の文化の違いなどの話が中心で。まあ、それはそれで面白かったね。でもね。先に読んだ「孫が読む漱石」のほうがウィットがあってよかったなあ。まああれは書評やったわけで。比べるのもどうかと思うけどね。 ロンドンの、漱石が下宿していた場所に立つ筆者。そのとき、思いがけず筆者の心に浮かんだもの。それは何か? という謎解きの面白さはあるけどね。ちょっと理屈っぽい。とくに専門分野の文化論(マンガ論)になるとね。 「刑事ぶたぶた」の前作の「ぶたぶた」は、僕の大好きな本のひとつ。みんな読みたまえ。面白くて考えさせられて、しかもさわやかな後味のある、とてもいい本であるよ。 で、前作ではいろんなシチュエーションでいろんな役回りで出てきたぬいぐるみの山崎ぶたぶたが、今回は刑事として大活躍。といってもその風体を活かした捜査なのですがね。 まあぬいぐるみですから(^◎^;)いろんな場所に潜り込める。誰にも気づかれずに見張りができる。さらには少々のことでは死なないし(^◎^;)。と、そのかわいらしさと経験の長さで、いろんな事件を解決していく。ううむ。面白いねえ。しかも「刑事」ですから、事件が起こって推理していって、というミステリー色もたっぷりなのですな。それがまた人情派の(さすらい刑事的な)ドラマなので、またまた胸にじーんと来るのでありますな。 早川書房のクリスティー文庫はほんとに読みやすい。「黄色いアイリス」は短編集。ポアロものが5編、パーカー・パインものが2編、ミス・マープルものが1編、幻想小説が1編。 パーカー・パインものは初めて読んだ。ほほう。こういうのも書いてたんか。ちょっと物足りないところがあるけどね。ポアロ物に比べるとね。かっこよすぎてね。やっぱり、ちょっとずついろんな事実を積み重ねて推理するやりかたが、一番面白いなあ。そしてポアロさんのキャラクター。やはり群を抜いてると思うのである。 意気込んでもたいしてうまくは書けないもんですな。まあ、うまく書こうとも思ってないからね。ともかく、今回の4冊は面白かったであるよ。ちょっといい気分が続いてるかな。でも、面白い本を読み始めると、もっと面白いもの、もっと面白い本、と思って、次々に読んでいってしまってね。つまり感想を書くより先に、次の本を読みたくなるわけでね。自転車操業、ではないけれどね。走り続けたくなるわけ。ま、いいでしょう、どんなペースで読んでも。 分かっていても感動してしまう 図書館を利用するようになって、昔ほど本屋に行かなくなった。そうすると、今巷でどんな本が流行っているのかってことが、新聞の書評とかニュースとかでしか分からなくなる。先日、ぶたこと本屋で待ち合わせをして、待ってる間に書棚を色々見て回っていて、いやあいろんな本があるなあっていうのと、平積みになってる本を見てはじめてその本がベストセラーになっているのかと、分かるのである。 で、オグ・マンディーノがとっても売れてるらしいということをその時初めて知ったのだな。それまでにもどこかの書評とかで見かけてたんやろうけど。あるいは新聞の本の広告とかかな。「感動のベストセラー」とかなんとか書かれていたりして。 「十二番目の天使」は、そんななんとなく聞き覚えがあった(見覚えがあった)オグ・マンディーノという人が書いている本だなあ、というぐらいの認識しかなかった。どうやら泣ける本、のようだ。題名からして。 主人公のジョンは、人生の絶頂期(仕事も順調、CEOの椅子が約束されて、故郷に錦を飾る)に、妻と息子を事故で亡くし、自暴自棄になって自らの命を絶とうとしていた。しかし、そんな彼に地元のリトルリーグの監督の要請がくる。まよいつつ引き受けるジョン。そのチームのメンバーに、守れない打てない走れない、しかし元気だけは人一倍というティモシーがいた。彼はジョンの息子にそっくりだった・・・。 まあ、あらすじを書くのもはばかれるくらい、ありがちな話なんですけどね。途中で「こういう結末になるんやろなあ」っていう予想がついてしまう。そしてほぼそのとおりになるんですけどね。 「どうせこういうことになるんやろう?」というとおりに話が進みすぎて、かえって面白かったりする。主人公のティモシーを、わかっていてもついつい応援してしまうのだな。作者の思いどおりに読んでしまうのである。そして感動してしまうのだ。ううむ。わしとしたことが。こんな典型的な感動話に感動するとは。まあ、たまにはええか。単純に感動しても。 ひとつ気になったのはね。リトルリーグの話やから仕方がないとはいえ、野球のルールを知らないとちょっと面白くないかも、てことかな。手に汗握る試合展開、の雰囲気が分かるととても面白いし、いっそうティモシーを応援したくなるよ。 いろいろ読みまして ほんまにいろいろ読んでしまった。しまった、という言い方も変か。好きで読んでるわけやからね。ともかくも、感想を大急ぎで書き留めておこう。もうそろそろ忘れかけてることもあるし。 「あの空の下で」は、前作「この道のむこう」のラストから話が始まる。学校の授業で、独立宣言の「自由と平等」をたからかに謳った箇所を暗誦しようとしたそのときに、強制送還されてしまうパンチートとその家族。その後の話。 「この道のむこう」ほどの過酷な試練はなく。どちらかというともっと成長した、青年時代の差別と偏見に対する話が主になっている。波乱にとんだところがなく、ちょっとおとなしめやけど、その分深い話になっているところもある。なにしろ、主人公は大学に行くような年になるねんから。前作とどちらがいいか、と言われれば、間違いなく1作目の方が面白い。 群ようこを読むのははじめてかも。「どにち放浪記」は、昔の雑誌に連載していたエッセイなんかを集めたもの。1984年〜1998年頃までのエッセイ。面白いなあ。ナンシー関の跡を継ぐのはこの人かも。リリー・フランキーに期待してたけど、「東京タワー」でいらん方向に行ってしまったからなあ。 ここでやり玉に上がってるテレビとか社会のあり方とかが、20年経った今でもあんまり変わってないことに驚く。だから今読んでも、面白い。そして考えさせられる。僕らはあんまり進歩してないんかなあって。 新書を読むときにはよっぽど気をつけないと。題名に騙される。「「感動」禁止!」というのも、最後の「!」が効いてるなあ。これに騙された。 最近の「感動」「涙」の押し売りというか、そういうのを求める風潮はどこから来るのか。団塊の世代、女性陣、若者と、それぞれの世代・性別について、感動を求める理由を探ろうとしているのだが。どうもいまひとつ説得力に欠ける。何が原因で、というのが結局ははっきりせえへんような印象。論法が難しいくせに、ちょちょっと横道にそれたり、妙な文体になったりして。一貫性がないように見えてしまうのだな。たぶん、著者も一貫性のないひとなんだろう、と思ってしまう。 とり・みきのマンガは、若い頃よく目にしたような気がする。男性雑誌とかで。あるいは青年コミック誌とかで。でも、どんなのを描いていたのかは思い出せない。 「パシパエーの宴」は、昔の短編集。といっても内容はバラバラ。シリアスなスリラーの表題から、お笑いとしか思えない「金玉人間第1号」まで、それこそいろいろ。そしてあらためて読んでみると、昔の紙芝居のような、説明不足のギリギリのところでまとめようとしているような、そんな作風なのだね。それがハマると面白いねんけど。ハマるのはやっぱりシリアスなものよりユーモア物かなあ。だから一番面白かったのは「金玉人間」ということになる。ははは。 意外、じゃないんだけど 谷川俊太郎さんが、どうやって詩を書くか、どうやって詩を作るかっていうのは、何度かテレビなんかでしゃべっているのを聞いていて知ってた。だから「詩を書く 〜なぜ私は詩をつくるか〜」で、「なぜ私は詩をつくるか」と言われても、まあ、思ったとおりのことしか書いてないんじゃないかとも思ったんだけど。 予想したとおりのことが半分。そうじゃないのも半分だったかな。詩は思い浮かぶんじゃなくて、机の前に座って考える。そして書く。そうやって詩を作る。 なんというか。芸術家というよりほとんど職人の仕事のようだ。そして出来上がった詩は、職人の技が生きている、どこから見ても見事な造り。それでいてだれにも真似が出来ないような独創性もある。そんなえらそうな言い様もないけどね。 途中までしか読めなくて図書館に返却したんだけど、トルストイの「戦争と平和」の新訳が岩波文庫から出てるんですね。これ、なかなか面白い。新訳ってことで表現も分かりやすい。少なくとも、過去に2回、この小説に挫折している(^◎^;)身としては。途中にコラムとかも挟んであってね。時代背景や当時の風俗などもよく分かって「なるほど、こういうことやったんか!」と、ようやく納得できたこともあった。 それと、この「戦争と平和」という題名から、そして「ロシア文学の最高峰」という評価から、真面目な大河小説と思って、以前は構えて読んでたなあってことを思い知ったな。今あらためて読むと、これって大衆小説なのですよ。それもちょっと皮肉っぽい、ちょっと諧謔的な。だから読み方としては、大小説を読むつもりじゃなくて、昔の講談本(里見八犬伝とか大菩薩峠とか。古っ)を読むつもりで楽しむのが正解なのかな、と言う気がした。 ま、僕が読んだのは本のさわりの部分。まだ「戦争」に行き着いてないからね。 もう8月も終わってしまうなあ だからどうだってことはないねんけど。夏休みの宿題のつもりで「30日でできるOS自作入門」は、最初の3日ぐらいで挫折してしまったしなあ。面白そうやってんけど、ほかのことにかまけていてはでけへんなあ。やっぱり夏休みの宿題のつもりで取り組まないと。それくらいの意気がないとOSの自作なんかはでけへんかも。 あきらめて他の本を。「ガウディの伝言」を書いた外尾悦郎さんは、日本人としてはじめて(今でもひとり?)サグラダ・ファミリアの彫刻を担当した。それが28年も前のことだと。その人が書くガウディの話だから、面白くて面白くて。 サグラダ・ファミリアにまつわる話、ガウディの他の建築にまつわる話。それぞれどれも面白い。サグラダ・ファミリアに隠された秘密のメッセージ。別に秘密でもないねんけど、いろんな仕掛けというか、隠された意味をいろいろひもといていってくれて。それだけでも面白いのに、なぜこれだけの時間がかかっているのかとか、今の状態はどうなのかとか、出来上がりはどうなるのかとか、そんな話もさらに面白く。加えてガウディのそのほかの建築にも触れていて、一級のガウディ解説書にもなっているところがいい。 建築に必要だった模型や図面が内戦でほとんど破壊されてしまったとか、今は建築のスピードが大幅にアップしているが、それはガウディ研究が進んだこともあるけれど、石積みじゃなくてコンクリートを使うようになったからだとか、知らない話が多くてね。楽しめたね。そうかあ。だからなんか、最近の写真は白っぽい建物が、すごい勢いで建っていってるように思ってたのが、納得がいったよ。 それと。外尾さんと同様、僕も「受難の門」はガウディの最初の構想どおりの方がよかったと思うなあ。 E・L・カニグズバーグの本を読むのは初めて。「スカイラー通り19番地」という題名は、マイヤーズの「ニューヨーク145番通り」を思い起こさせて。ひょっとして(同じヤングアダルト小説やし)同じような下町の話かなあと思ったら、ちょっと違っていた。 マーガレットは夏休みのキャンプになじめず、おじさん兄弟が住んでいる家に帰ってくる。両親はペルーに発掘調査に行っているのだ。おじさんの家の庭には、おじさん兄弟が作った立派な塔が3本建っている。 はじめにキャンプの話がながながと続くので、これはキャンプでの騒動を書いたものかなあと思っていたら、主人公はおじさんの家に帰ってしまって。それでキャンプで仲違い(ほとんどいじめられていた)ルームメイトとどうにかなるのかなあ・・・・と思ったら、話は途中から塔の保存運動(行動?)になっていくという展開に。 おじさん兄弟のやりとりやら、わざと頭が足りないように振る舞っているキャンプの用務員ジャックやら、魅力的な登場人物が出てくる。常識とか体制とかに反抗する態度はちょっと気に入ったな。 でもお話が。さっき書いたように、最初の印象と途中からの話の運びで、主人公の女の子の印象がちょっと変わってくるのだな。惜しいなあ。最後の方はとんとん拍子って感じで、拍子抜けともいえるし。まあ読んでるあいだは「それでどうなるの?」と読み進めてしまいましたがね。 「いいかげんに片づけて美しく暮らす」は題名にひかれてしまったのだな。それにしても読む本がバラバラやな。あ、「建物」「インテリア」つながりか。無理矢理つなげると。 本屋のインテリアコーナーに行くと、「上手に収納」とか「すっきりと暮らす」とかいう本が並んでいる。どの本も中身を見ると、すっきりと片づいた部屋が映っている。それを見る度に「うそやろお」と心の中で思ってしまうのだ。 どんな家だって、住んでいるうちに汚れてくるし散らかってくるものなんじゃないか。それを「きれいに暮らす」っていうのはどうなんだろう。なにもかもが棚の中の扉の後ろに片づけられてしまったら、次に取り出すときに困るんじゃないか。どこに置いたか忘れてしまったら、いちいち扉を開けて確認しないといけないし。 で、この本。古い一軒家をリフォームして住んではるんだけど、そのリフォームの仕方が家に寄り添ったかたちなのがいい。無理をして片づけようとしていないところがいい。きれいでなくても、それを楽しむ余裕。そういうのが必要なんじゃないかと思うなあ。そして人間は誰でも、そういう余裕は持てるものだとも思うんだが。 もうだいぶくたびれてきた。今日読んだ最後の本。「転がる猫に苔は生えない」は、題名からして、あのとってもつまらなかった「チーズはどこに行った」と同じような本かなあ、と思ったけど、ちょっと中身を読むとそんなことはなさそうだったので、安心して借りたのだ。 都会に住む50人(匹(^◎^;))の猫に、ひとりずつ(一匹ずつ)インタビューをしてみました。という内容。このアイデアがいけてるなあ。 でもなあ。内容はというと、ちょっと物足りない。なんというか、全体に中途半端なのだね。猫の独白なんだけど、猫っぽくない。といって、人間っぽくもない。毒も少ないし笑いも少ない。50人分読んでも、どうもバラエティに富んでいるともいえんしなあ。アイデアはよかったけど。企画倒れということか。イラストも。ううむ。こういうのがニュージャージーでは受けるのかなあ。 |