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| ←前月 | 5日 | かためて読んでるわけではないのだけれど
【わたしが私になる方法】サリー・ワーナー(金原瑞人・鈴木亜希子訳・角川書店) |
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| 11日 | 読書好きなのだ
【ヒヨコの猫またぎ】群ようこ(文春文庫) | ||
| 14日 | 名推理!
【三幕の殺人】アガサ・クリスティー(長野きよみ訳・早川クリスティー文庫) | ||
| 19日 | 読み方、楽しみ方はいろいろで
【ペール・ゴリオ−パリ物語−】バルザック(鹿島茂訳・藤原書店) |
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かためて読んでるわけではないのだけれど なんか、このページの更新は火曜日にかたまるような傾向にあるなあ。意識してないねんけど。一番書きやすいのかなあ。 「わたしが私になる方法」>っていうのは面白い題名やなあと思って読んだのだな。翻訳者も気に入ってるし。まあいわゆる、アメリカのヤングアダルトものなんだけど。 主人公の女の子カーラはお母さんと二人暮らし。お父さんは家を出て行ってしまった。つまり離婚したってこと。その原因はお母さん。お母さんは心を病んでいる。しかしそのことをまわりには秘密にしている。それはお母さんのため、あるいは自分のため。お母さんを救えるのは自分しかいないと思っている。 そしてある木曜日のこと。という一日の出来事を追っている。その日一日でいろんな事が起こって、事態は急変するのである。それはいい方へ?それとも悪い方へ?答えは載っていない。自分で考えないと。というか、想像するしかないけれど。 カーラが行き詰まったときに救いになるのは、自分で想像する世界への逃避。「クジラの島の少女」という物語の主人公になったつもりになるのだな。こういうの、よくやったかも。現実逃避にしかならないんだけど。それでも現実に押しつぶされるよりマシ、ということか。 ヤングアダルトもの、というか、若い人向けに書いているせいか、特に終盤になると文章の勢いがなくなるというか、ちょっと「いいところ」に落ち着きそうになるのがなあ。そういう風に考えてはいけないのか。それと、ある1日を追ってるだけなんだけど、だったらもっと克明に・・・と思ってしまうのも、本題とはズレてしまうのかなあ。いい題材なんだけど、ちょっと読みごたえがないというか。そこんところがね。 岡本太郎というと「芸術は爆発だ!」という言葉が一番に思い浮かんでしまうなあ。あれは言葉だけが独り歩きしてしまって、本当に岡本太郎の芸術を知る上では、逆に足かせになってしまっているような気がするなあ。先入観が出来てしまっている。 先日、万博記念公園に行って太陽の塔を見たんだけれど、いつ見てもあのモニュメント(という言い方が正しいのかどうか)から受けるインパクトは尋常ではない。なにか、巨大なもの(見た目以上の)をどーんと魂に感じてしまうのだな。それは36年前に、お祭り広場の大屋根からぬっと顔を出していた、その当時よりも、今の、まわりがすっかり木々に覆われた中に、それこそ「ぬっ」とその半身を乗り出してどこかを見つめている、その姿に圧倒的なものを感じてしまうのだ。 「美の呪力」が書かれたのは、奥付けを見ると万博の1年後らしい。太陽の塔を残して、万博会場が新しい公園として再生するかどうかというようなときなのだな。 岡本太郎の文章というのは、意外と読む機会がない。文字にして書かれたものよりも作られたもの、描かれたものの方が(もちろんそちらが本業なのだからあたりまえだけれど)目に付く。そして他の作家よりも目に付く機会が多いので、いつでも岡本太郎を見ているような、ほんとは滅多に展覧会とかも見に行かないのに、なんとなく岡本太郎をよく知っているような錯覚に陥ってる。テレビとかによく出てはったからやろなあ。ちょっとタレントに近かった(そういうふうにテレビが勝手にとり上げてただけやと思うけど)からねえ。 すっかり本の話と離れてしまいそうになってるけれど。ともかく本です。書かれたものです。文章です。しかし文章であっても、やっぱり岡本太郎なのですね。文章にも「どーん!」という力を感じてしまいます。 話の内容は、いかに「根源的なもの」に惹かれるか、それはなぜか、というようなものなんだけれど、さすがに自身が作家であるだけあって、歯に衣着せぬ(ありきたりな言い回しで嫌なんだけど)書き方で、とってもすっきりと心に響いてきますなあ。頭でっかちな芸術論とは対極的なところにある。それがとても気持ちよろしい。 読書好きなのだ 永江朗の「恥ずかしい読書」は、読書好きにはたまらんような内容やったな。いや訂正。僕のような読書好きには、やね。読み方とか(僕は歯を磨きながら本は読めへんけど)読んだ本の内容が頭に入ってないだとか(ほとんどそうか?)、共感できることが多くてね。ほんまか。 奥付けのプロフィールを見ると、なんと同い年ではありませんか。読んでる本とか、その感想とかが似通うのも頷ける。いやいや、そんな単純に結びつけてはいけませんね。たまたまやね。 間に入ってる目の話が結構ためになる。とはいっても、僕は電車での読書はやめられそうにないし、眼鏡を作り替えるほどの財力もないしなあ。というか、高級な眼鏡はいらんねんけど。でも目が悪くなって本を読めなくなるのは、悲しいかなあ。 この本の中に それからいうと、子供に英語を習わせたいと思ったら、親が英語を使えるようになるのが早いのではないだろうか、とも思う。と、ここで「危うし!小学校英語」につながるわけだけど。無理矢理か。 小学校から英語を教えるっていうのは、どうなんやろうなあ。「右」「左」から批判を浴びつつ、それでも実行に移そうとしているのは、実は世論の力が大きいのだな。もっと端的に言うと親の力。親の期待。そしてその親の期待の大もとは、英語コンプレックスだったりするのだな。 この本は、著者が好きな人だったのと、題名の「!」にひかれて読んでみたんだけど。まあ話簡単には「小学校から英語を学習すれば、楽に修得できるというのは幻想」ということを、実例、統計を駆使して説いていらっしゃる。読んでいくと、まさにそのとおり、と思わざるを得ないところが多い。ともかく英語学習は、というか日本の教育は、どっかおかしくなってるよなあ。というか、文部科学省がおかしくなってるのか。なにしろあそこにいる人たちはエリートの方々ばっかりやからね。そもそもそこに矛盾があるのだが。 などと、英語と関係のないことにまで思いが及んでしまうのですな。まあ、この本に書いてあるように、「あたりまえと思って検証もしていないこと」に疑問を持つということは大事なことやと思いますね。語学学習は年齢が低いほどヨイ??? そして全く関係なく、軽い読み物。「ヒヨコの猫またぎ」。群ようこにハマってるわけではないのだけどね。女性作家のエッセイって、なんでこんなに面白いのだろうなあ。男のものより断然面白い(ものが多い。ちょっとしか読んでないけど)。 文句の付け方とかに「してやられた」と思うことが多いのかなあ。それか、かっこよさと違うところがあるからか。男の書くものって、どっかに「かっこええ」と言われたそうなところがあるんですよね。それが分かる人って多い。ちょっとでもそういうのが見えてしまうと、引いてしまうんです。小説とかやったらまだわかるっていうか、許されるっていうか、我慢できるんやけど。なにしろフィクションやからね。でもエッセイとなるとなあ。まあとことんかっこよく書いて「どうだい、カッコイいだろお?」って開き直るまでになるとまだいいのかな。書きながら、ハテ、そういうのあったかなあ?って考えたんやけど、思い浮かばんのだな。 ま、ともかく面白いのです。女性の書くエッセイは。まずハズレなく。 名推理! うーん、いい題名が思い浮かばなくて、ありきたりの表題にちょっと不満。でもそんなことはどうでもいい。本題は本のことで。「三幕の殺人」っていう題名を聞いた覚えがあるから、きっとテレビの「ポアロ・シリーズ」で見たんだと思うねんけど、今こうやって読み終わっても、少しもそのシーンを思い出せないでいるのだ。ひょっとしたら思い違いかも。 引退した俳優の主催するホームパーティーで、老牧師が毒殺される。犯人は誰か? そして動機は? 謎が残ったまま、第2、第3の殺人が起こる。 いわゆるポアロもので、最後はいつものように出演者全員を集めて犯人当てをやるわけですが。最初から最後までポアロが活躍するというわけではなく、前半は素人探偵たちがいろいろ駆けずり回って証拠集めなどをするんですね。そして最後の最後。連続殺人の理由が明かされて・・・あああ、これ以上は言えないなあ。 アガサ・クリスティーで連続殺人と言えば「ABC殺人事件」が有名ですが、それよりもっと悲惨かなあ。ともかく最初の殺人が・・・おっと、これ以上はダメダメですね(^◎^;) 最後に明かされる最初の殺人の動機っていうのが、「してやられたあ!」といったところですね。ほんまに最後の最後まで楽しませてもらいました。 読み方、楽しみ方はいろいろで 人によって本の読み方は違うし、同じ本を読んでてもどういう風に読むかっていうのは変わってくるのだな。先日書いたクリスティーの「三幕の殺人」が、僕はとっても面白かったんだけど、あとから読んだぶたこにしてみたら、 でもまあ、そんな読み方もあるのですよ。たとえ推理小説でもね。いやいや、結末の分かっている(犯人が必ず分かるという)推理小説やから、まあ最初から騙されるつもりで読んでるっていうのもあるかなあ。で、「やられたぁ〜」とかいって喜んでるんだね。 さて、読み方いろいろでも、バルザックの「ペール・ゴリオ」になると、これはもうじっくりと取り組まざるを得ないっていうか。ともかくぱぱぱっと読み飛ばすってことができない。じっくりっていっても、時間をかけて読むっていうことだけじゃなくて、味わって読むってことと、考えながら読むってことがいるかなあ。いやいや、なんとなく読んでもええねんけどね。というか、今回僕は、たいした考えもなく「長い読み物」と思って読んだんですね。 「ゴリオ爺さん」という題名で親しまれている、バルザックの代表作の一つでね。ここから「人間喜劇」という、当時のパリの風俗を描いた連作が始まるんですな。 なんというか、とにかく細かい描写が多くってね。いやいや単に細かいっていうんじゃなくて。長々と説明した、という方がいいかな。ともかく言葉があふれてくるっていう感じで、どんどん長くなってくるんですな。 バルザックを読むのは初めてかなあ・・・・とよく考えてみたら、昔「幻滅」っていうのを読んだような記憶が。しかしどんな話だったかも覚えてない。けっこう長編やったのになあ。それを読んだ頃は、当時のパリの風俗がどんなんやったかとか、ほとんど知らんかったんやなあ。だからいたるところでちんぷんかんぷんなところがあったはず。僕の理解を超える世界やからね。 今回読んだのは鹿島茂さんの新しい訳でね。題名も原題どおりにしているのは、昔の「爺さん」という表現から解放されたかったようやね。確かにとても読みやすい。古典なんだけど、古典臭さがないというか。すらすらと読める(といっても、とても長いのだけれど)。登場人物の長口上も、冗長な感じがなく読めたな。これはおすすめですな。 当時のパリの風俗というか、社交界の常識が分かっていないと、話がよく分からなくなるところがあるんですね。ぜひとも「訳者あとがき」から読んで、予備知識を得ておくべきやと思います。 いしいひさいちの四コママンガはとてもおもしろい。「がんばれ!タブチくん」以来のファンです。今は朝日新聞の朝刊に連載してて、やっぱり面白い。産経新聞の夕刊に連載していたものを集めたのが「大阪100円生活−バイトくん通信−」。相変わらずのいしいひさいち的お笑いの世界で、楽しめる。 東淀川界隈を(広くは関大までを含む)紹介した「東淀川通信」を、いしいひさいちのマネージャーを務めていた冨岡雄一氏が書いていて、これも面白い。ま、へらへらと読むものですが。 講談社X文庫というのがあるのですね。今まで読んだことなかった。どうやら若い人に人気があるらしい。まあエンターテイメント系で、著者も結構若い人が多い、と勝手に思い込んでるんだけど。なぜって、表紙はどう見ても少女系コミックに出てきそうな美男子がポーズを決めてるし、それがまあ、ちょっとアレかなと思うような絵でね。だから中身もちょっとアレかなと思ってたんだけど。図書館で裏表紙に貼ってある貸し出しの記録を見たら、貸し出しのはんこがいっぱい押してあってね。よっぽど人気があるんやと思ったね。で、こんなに人気のある本は、どういうところが面白いんだろうかと思って読んだわけ。 「英国妖異譚」は、その文庫のシリーズ「ホワイトハート」が募集した「ホワイトハート大賞」で2000年に優秀賞を受賞した作品なのだな。 舞台は英国のパブリックスクールの寮。そこでオカルトな事件が起こり、妖精が見える少年やオカルト好きの(ちょっとワルっぽい)少年なんかが、事件を解決していくっていう、ホラーとオカルトとファンタジーと、ちょっと危ない恋(!)も交えたお話でしてね。 なんというか。面白いっちゃあ面白いんだけど。この大賞の評にもあったけど、前半はそこそこ、でも後半は・・・・もうちょっとひねったらなあ・・・・惜しいなあ・・・・っていう内容やな。まあ十分面白いというか、変なところがないので、作者の力は感じるけどね。最後まで読んでしまったし。読ませるだけのものはあるなと思ったし。すらすらと一気に読んでしまった。まあ暇やったからっていうのもあるねんけどな。でも途中で眠くもならず嫌にもならずっていうところは、うまいんだろうなあ。それだけに、最後はちょっと・・・・ もうすぐバンコクに行くんです。だからっていうわけでもなく、いややっぱりそれが意識にあって「バンコク迷走」なんて本を借りたんだろうなあ。 でもこれは、旅行に行くかどうかは関係なく、タイという国、バンコクという町を知るにはとても優れた案内書ですな。というより、タイの国民性を知る、絶好の本というべきか。ともかく面白く、笑いつつ、バンコクが好きになる。かなりいい加減な国民らしいけれど。なにしろ著者がそのバンコクに大変な愛情を持っているのが分かる。だから読んでいてすがすがしい気分になるんやな。よしっ。バンコク、楽しんでくるぞ! あ、ちなみにこの本、2006年の7月に文庫版になって。文庫版のあとがきも新しくなっているので「最新情報」と言っていいと思います。 |