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読書日記


←前月 2日 気になる、だから読んでしまう

【オートフィクション】金原ひとみ(集英社)
【アメリカミステリ傑作選/2003】ローレンス・ブロック編(DHC)

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6日 爽快に!・・・・?

【天使と悪魔】ダン・ブラウン(越前敏弥訳・角川書店)

11日 イギリス風お笑い

【比類なきジーヴス】P・G・ウッドハウス(森村たまき訳・国書刊行会)

24日 最近本を読む気力が減退しているような気がする

【球形の季節】恩田陸(新潮文庫)
【キネマ・キネマ】井上雅彦・監修(光文社文庫)


11月2日(木)

気になる、だから読んでしまう

金原ひとみが気になるのだ。金原ひとみが好きだ、というのとは違う。なんとなく気になる。注目している、というのとも違う。とにかく気になるのだな。
だから新しい本が出ると読んでみたくなるのだ。読んだあとは、はてはてはて???と考えてしまうこともあるんだけれど。

最初に読んだ「蛇とピアス」は、衝撃的な内容とは裏腹に、文体がとても素直で、その矛盾というか、とっ散らかっているようでまとまっている不思議な雰囲気に、まあ芥川賞もアリかなあという気になった。
続いて読んだ「AMEBIC」は、いきなり誤変換のワープロ文字から始まって、さあどうなるんだ? と思ったら、なんとなく煮え切らない、どこにでもありそうな男と女の話に落ち着いて(それは相当ドロドロなんだけど)、そのアンバランスさにどこか危ういところがあって、「どうしたんだ、金原ひとみ」と勝手に心配なんかしてしまったのだった。

そして新刊。「オートフィクション」である。
主人公のリンは作家である。章の題名にある「22th」とか「18th」とかは22歳、18歳ということか。現在は22歳の作家。結婚したてで愛する彼と新婚旅行の帰りの飛行機の中、というシチュエーションで始まるのだが。
この主人公が、過去を振り返って「自伝的な作為小説を書く」ことを編集者に勧められて、作中作のような形で、どんどん過去にさかのぼって「自伝的な小説」を書くことになっていく。という形の話。

それにしても、リンというキャラクターは「どうぞ勘弁してください」と言いたくなるような、自己中心的で自尊心が高く、しかも我儘で人のことはどんな理由があっても自分勝手な行動は許さず、しかし自分のすることにはことごとくその理由づけを考えて、それを相手が納得しないことに腹を立てているという、こんな女がそばにいたら、絶対に避けて通りたい、関わり合いになりたくないような女なのだ。

22歳の現在から始まって、18歳、16歳、15歳とさかのぼって話は進んでいくのだな。
面白いことに、22歳の現在が一番人に依存する(それは夫である。いつでも甘える対象、依存する対象は男なのである)のだが、さかのぼるにつれてやや自立的な面が見えてくるのだな。

そういう話の筋の面白さとともに、この文体の面白さはなんとも気持ちがいい。いや、気持ち悪いという人もいるだろうけれど。
難しい言葉を使うと、ジョイスやプルーストやバージニア・ウルフが苦労して(多分)開発してきた文体、「意識の流れ」をいとも易々とやってのけているのだ。
それも気がつかないうちにその中に読んでいるこちらを引っ張り込んでしまう。そして突如として爆発するような文章。
「ねえねえ」という甘え言葉が一転して「ばかってんだよばか」になったかと思うと、いきなり「マンコ」のオンパレードになったりして、どうなってるんだ! とこちらが思う暇も与えない。
これを「面白い」と思うか、「くだらん」と思うかはひとそれぞれやろうなあ。

最初の章で「結婚」したカップルを登場させたが、最終章「15歳」では、ついにというかいよいよと言うか、両親の話がちょっとだけ出てくる。今までで初めてかも。
ようやくそこまで自分を見つめるようになったのか。吹っ切れたところがあるのか。あるいは開き直ったのか。どうなんだ!
と、僕の読み方はどうもワイドショー的になっている。これこそ作者の思う壺というものだろう。金原ひとみから見たら僕なんか「うざいおっさん」なんだろうなあ。
でも作者になんと思われようと、やはり気になるものは気になるのだ。
ここまで(ついに家族が出てきた)書いたから、次はどうなるのか? ものすごく楽しみでもあるんだなあ。


「アメリカミステリ傑作選・2003」は、実はまだ全部は読んでいないのです。というか、ひょっとしたらもう読めないかも。かなり頑張ったんだけど。全20編のうち14編まで読んだ。

ホートン・ミフリン社が毎年刊行しているミステリの傑作選。なのだけれど。
これはDHCが刊行していて。そう、化粧品のDHCです。
元々は翻訳の教育会社なのだね。だからこういう本も出版しているらしい。
この本は20編の短編(20ページから40ページ程度。そこまでいくと中編と言いたくなる)を収めているのだが、翻訳者が1編ずつばらばらで。おそらくは翻訳の勉強をしている人あるいは今から本格的に翻訳者として仕事をしていこうという人、つまりは新人翻訳家がその腕試しのような感じで訳しているらしいのだ。ということは他の本で知ったのだけど。

何が言いたかったかというと、「翻訳は難しい」ということだ。話の筋とは関係ないことなんやけど。

例えば警察官が犯人を追い詰めていく。だいたいがひとりで行動するのではなく「相棒」と一緒に。そして犯人逮捕、できるかどうか。
というような手に汗握る展開になったとして、さてそれを英語の文章ではどう表現しているのだろうか。ということは翻訳から想像するしかない。
その原文のニュアンスやスピード感などは、どの程度訳されているのだろう。それが分からないままというのが多いような気がする。もちろんそれってとても難しいことなんだろうけれど。

そんなことを考えたのは、先に金原ひとみを読んだからかもしれない。彼女の文章は今どきの日本語満載で、そのニュアンスまでも捉えていて、ちょっとした句点や読点の使い方が絶妙なのだ。
これを英語に直すとして・・・と考えたけど、それはどうしても無理だろう。そんなに英語に堪能なわけじゃないけれど、どうも英語になったとたんに、彼女の文章の特徴が全部削がれてしまうような気がするのだ。

逆もまた真なり。英語で書かれた文章を日本語に直して、元々の文章の持っていた匂いとか感覚とか、どれくらい翻訳することが出来るのだろう。それには限界があるんじゃないか。ことに最近の、現代の、最新の英語となると、きっとそれまでのいろんな文体の影響を(知らず知らずのうちにでも)受けてるだろうから、元の文章を読んでその影響を受けた文体を思い浮かべてそして日本語にする。ううむ、どうも難しそうだ。
だったら原文で読めば、ということになるんだけれど。そこまでの自信がないねんなあ。児玉清さんはエライよ。


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11月6日(月)

爽快!・・・・?

「天使と悪魔」を読んだ。「ダ・ヴィンチ・コード」で名をはせたダン・ブラウンの第2弾、ではなくこちらの方が先なのだな。

おなじみの(2冊しか読んでないのに)ジェットコースターストーリー。
とにかく次々といろんな謎が出てきて、それをまた次々に解いていく。解いていくのは主人公の象徴学者ラングドン。
その持てる知識を総動員して、古代ローマの、バチカンの隠された謎をも解いていく。というか、あんまり知られていない事実史実から、敵(ここではバチカンを破壊しようとするテロリスト)の投げかける謎に立ち向かう。

しかしねえ。最初に殺されるのが密室で、ラングドンと一緒に解決に走り回るのがその娘。そして意外な犯人・・・と、もういろんなところが「ダ・ヴィンチ・コード」にそっくりなのがどうも気になる。
まあ同じ作者なんだから、ということなんやけど。まるで同じ話の違うバージョンを読んでいるみたいでね。まあその分、同じように楽しめるということはあるねんけど。

とはいえ。今回のは1時間にひとりずつ枢機卿が殺されていくという緊迫感。加えて5時間後には反物質が爆破するという、時間に追われる展開。まるで本の上の「24」みたいなものだ。だから途中で読み終わることが出来ないのだけれど。

ゲーム感覚で楽しめる。しかもバチカンの、あまり知られていない歴史や美術の秘密も語られるのだから、まあオタク的にとても楽しめるのだな。

ふと、全然関係ないけれど、ちょっと小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」を思い出した。
あれはいちおう推理小説なんだけど、実のところ推理の中身は分かりにくくて面白くない。面白いのは、いたる所にちりばめられた主人公が語る蘊蓄で、それは話の筋には何の関係もないのだけれど、「黒死館」という名前と一緒になると、なんともいえない雰囲気が漂って、それを味わうだけで楽しくなるのだな。というか、そういう楽しみしかない小説だった。

ダン・ブラウンはそこまで「蘊蓄好き」ではないけれど、「こんなことがあるんだよ、面白いだろう?」というのが次々に出てきて、ほんとにこの人の頭の中はどうなっているんだろうと思ってしまう。

まあ、途中はどうも都合がよすぎることがいっぱい起こるんだけど、それはそれ。ともかく、楽しく一気に読むこと。途中であれこれ考えていたら、いやになってくる。
そ。人間ドラマがありそうでないねんなあ。最後のどんでん返しも、ほんとは「おおっ、そうだったのかっ!」と思わせたいんだろうけれど、そこまで二転三転四転したストーリーを読み続けた後では、
「そこまでやるかあ・・・・」
という気になってしまう。この加減が難しいだろうなあ。そこのところがダン・ブラウンのちょっとなあ、と思うところ。


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11月11日(土)

イギリス風お笑い

ウッドハウスは2冊目である。前に読んだ「ウースター家の掟」がとっても面白かったので、また読んでみたのだ。
若き貴族バーティー・ウースターとその執事ジーヴスと、バーティーの悪友たちが巻き起こすドタバタ喜劇。

前に読んだ「ウースター家の掟」は大長編だったが、この「比類なきジーヴス」は、解説を読むともともとは短編として発表されたものを組み合わせて、一つの長編のようにしたものらしい。たしかにひとつひとつの章ごとに、ちゃんとオチがついていて、それぞれ単独でも十分楽しい。
というか、まあ確かに短編小説集やなあという感じ。

どの話も似たり寄ったりで、「友人の頼み事を断ってはいけない」という家訓を守るバーティーが、「我こそは親友なり」と申し出るどうしようもない連中に振り回され、さて万事休す。せっぱ詰まって危機に陥って、さてどうなる? となったときに、どこからともなく問題が解決する。問題を解決するのは執事のジーヴス。執事や召使同士の連絡網から、「小耳に挟んだ」あらゆる情報、さらには古典から現代(通俗なもの)に至るまでの文学的素養(?)を駆使して、さりげなく問題を解決していくその手腕。

解説によるとウッドハウスという人は非常に多作だったようだが、「1冊を読めば100冊が分かる」と言われるくらいに、同じような話を次々に書いていたようだ。
だから、こんな短編集でも、大きな話の筋は先ほど書いたようなものばかり。
しかしそのどれもが面白くて、ついつい先先と読んでしまうのだ。

その笑いのセンスは、古いイギリス風のもの。
だいたいが貴族のおぼっちゃんが騒動に巻き込まれ(それもほとんど自分のせいで)、それを(身分の低い)執事が解決し、
「そのように取り計らいをいたしました」
などと言われたら、それだけで大いなる皮肉だ。
そういうのを、皮肉を、いやらしくなく笑いにしてしまう才能があるのだな。これってオースティンにもつながるような気がする。だからイギリス風かと思うんだけど。

翻訳の森村たまきさんは、本職は犯罪学の法律家なのですね。ウッドハウスが好きで、たまたまこのシリーズを翻訳したと解説に書いてあったけど。
「原文の面白さがなかなか表現できない」と謙遜してはるけど、訳文は十分面白い。さらに続きも読んでみたくなる。どれも同じと分かってるのだけれど。


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11月24日(金)

最近本を読む気力が減退しているような気がする

前の書き込みからホボ2週間か。近頃になく間が空いてしまったな。
その間、本を読んでいなかったわけでもないのだけれど、なんとなく本について書く気力がなくなったのだな。本について書く気力もだけれど、本を読む気力も減退しているような気がする。
今月ぐらいからだろうか。あいまあいまに読もうという気力がわかないのだな。あんまり面白くない本に当たっているからだろうか。世間の評価が高かっても、面白くないと思ったら途中で読むのをやめればいいのかも。読書だけが生きる道ではないし。
人は本のみにて生きるにあらず。


恩田陸は、どれを読んでも外れがないような気がする。「球形の季節」(新潮文庫)はデビュー2作目なのだということは、あとがきを読んで初めて知った。だいたいしばらく前まで全然読んでいなかったし、最近の作家はどんどん新刊が出るので(といってもエンターテイメント系の作家に限ってだけど)どれが新しくてどれが古いなんていちいち考えてない。

ある田舎(といっていいだろう)の高校生の間に、ある噂が広がる。○月○日に誰某の身に何かが起きる・・・。そしてその日、確かに起こったこと。
それを調べる高校生のサークルが活躍する・・・・というところまでいかないのが恩田風。分かったような分からないような話が、どんどん展開するさまは、ハマってしまうと抜け出せないかも。

第2作ということで、実は第1作の方法論を踏襲しているらしいのだが、第1作(「六番目の小夜子」)は読んでいないので、どう同じなのかは分からない。読んでみようかなあ。
ただ、普通の学園ドラマ学園ホラーものかと思って、でも恩田陸だからなにかの仕掛けがあるに違いないと期待しつつ読んだ。
その期待はある程度は満たされ、ある程度はちょっと・・・やったな。特にラストがね。ううむ。無理矢理解決させたというか。でも、ひょっとして・・・・というニュアンスがわずかながら臭うのは、「MAZE」に通じるところがあるかも。


井上雅彦監修の、文庫書き下ろし「異形コレクション」シリーズの1冊、「キネマ・キネマ」
24人の作家によるホラー短編集。

はっきりいうと玉石混交。僕の琴線に触れるものも(わずかながら)あり、なんかよお分からんものも(多く)あり。どれも短いものだから、ともかく知らない作家ばっかりやし、全部読んでみた。

一口にホラーって言うても、いろいろあるもんやなあ。まあ映画でも「スリラー」の範疇に入る映画はそうとう広い範囲になるやろうから、小説でも同じなんだろう。

そうそう、この本の題名「キネマ・キネマ」というので分かるとおり、どれも映画に関するホラーということになっている。それは舞台が映画館であったり、映画のキャラクターに関する話であったり、そのほかいろいろなんだけど、とにかく「映画」というキーワードで結ばれている。

そして、ホラー映画にいろいろあるように、いろいろな小説がごたまぜになっているのだね。背筋がぞっとなるようなものもあれば、完全なスプラッターもあり(僕の趣味には合わないなあ)で、それぞれ面白いのだけれどね。
でもすべてを楽しめ、というのは無理な話かな。

これを全部読んで、ちょっと疲れてしまったのかも。
でも知らない作家の作品を読むのは楽しいのだけれど。こんどはもちょっと普通の小説アンソロジーにしよう。


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