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読書日記


←前月 4日 児童文学2題

【箱船の航海日誌】ケネス・ウォーカー(安達まみ訳・光文社古典新訳文庫)
【星をまく人】キャサリン・パターソン(岡本浜江訳・ポプラ社)

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8日 ミステリー・SF・日常生活

【毒のたわむれ】ディクスン・カー(村崎敏郎訳・ハヤカワポケットミステリ)
【ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド】ブライアン・W・オールディス(柳下毅一郎訳・河出文庫)
【手づくり生活111のコツ】荒井章(山海堂)

9日 建築を作る人の思いと住む人の理想

【中野本町の家】後藤暢子・後藤幸子・後藤文子・伊藤豊雄(星雲社)
【間取りの手帖remix】佐藤和歌子(ちくま文庫) 

12日 読んでる本

14日 読んでる本:ミステリーの続き、絵本

【まどのむこう】チャールズ・キーピング(いのくまようこ訳・らくだ出版)

19日 ライトノベル? ファンタジー?

【黙示の海】ティム・ボウラー(金原瑞人・相山夏奏訳・東京創元社)
【ライトノベル☆めった斬り!】大森望・三村美衣(太田出版)

22日 すべてはライトノベル化している
24日 シアラーは何冊目だろう

【13ヶ月と13週と13日と満月の夜】アレックス・シララー(金原瑞人訳・求龍社)
【ちいさなちいさな王様】アクセル・ハッケ(ミヒャエル・ゾーヴァ絵・那須田淳・木本栄訳・講談社)


6月4日(月)

児童文学2題

久しぶりに書きます。本の感想。しばらく前に読んだ本から。なんかしょっちゅうこんな風(読んでから時間が経ってからの書き込み)になってるなあ。印象も薄くなってるかも。忘れてることもあるかも。でも覚えてることもあるから。覚えていることが大事なこと。そう思って書いていこう。

「箱船の航海日誌」は、旧約聖書の「ノアの方舟」をもとにした、動物たちとノアの家族との航海日誌。まあなんというか、ドタバタのような、ちょっと怖いような話になっている。教訓的な話なのかと思ったけど、そうでもなかった。

神様からの啓示を受けたノアは、巨大な箱船を造って、地上のあらゆる動物を乗り込ませる。動物たちは(このころはみんな仲良く暮らしていた。言葉も通じている)わいわいがやがやいいながら集まってきて、船に乗り込む。
やがて大雨。動物たちはそれまで「雨」にあったこともなかった。見たこともない「雨」に恐れおののきつつ、船の中で暮らす。
さて、船での暮らしは想像以上に大変。食べ物はオートミールだけ。何十日も船の中で暮らすうち、動物たちに変化が起こってきて・・・・

やがて雨はやみ、水は引いて陸地があらわれ、動物たちは元の暮らしに戻っていくのだが・・・・
ただ楽しいだけの昔話ではなくて、ちょっと考えさせられる。閉塞された生活の中で動物たちの関係はすっかり変わってしまうのだね。陸に戻っても「みんな仲良く」という訳にはいかなくなっている。
それを作者は、はっきりとは描かないままにお話は終わるのだね。ノアが「どうも変だ。なんとなく」と思うだけで。その「なんとなく」が、それからの世界を想像させて、ちょっと怖かったりする。


「星をまく人」は児童文学というよりヤング・アダルト小説かな。でも主人公はもうすぐ12歳っていうから、やっぱり児童文学か。まあそんな分け方はどうでもええんですけど。

もうすぐ12歳のエンジェルは、弟のバーニーとお母さんと3人で暮らしている。お父さんはコンビニで泥棒をしたか何かで(詳しくは分からない)刑務所に入っている。生活はめちゃくちゃ。なんといってもお母さんがなってない。仕事で忙しいのは分かるけれど、家のことはなにもしない。弟の世話はエンジェルにまかせっぱなし。この弟も、わがままできかん気で、しかもちょっぴりノータリンときている。

3人でお父さんに面会に行った翌日、お母さんは突然家族の荷物をまとめ、おばあちゃん(お父さんのおばあちゃん。エンジェルのひいおばあちゃん)のところへ車を走らせる。お母さんは姉弟をおばあちゃんに預けてしまったのだった。
このおばあちゃん、台所にあるのは缶詰めのマメと桃だけ。マメと桃だけで生きてるのか? しかも一日中、ほとんど揺り椅子から動く様子もない。こんな人と一緒に生活していけるのか?

途方に暮れるエンジェル。しかし引っ越し(そのつもりはなかったけれど、そういうことだ)したその夜、外に出てみると、庭で望遠鏡をのぞいているおじさんに出会った。おじさんは星のことに詳しくて、いろんな話をエンジェルにしてくれる。ちょっぴり心癒されるエンジェル。でもこのおじさんは、誰?

はちゃめちゃな大人たちに翻弄されるかわいそうなエンジェル。でもなんとかやりくりしていこうという、その意気込みに感動してしまうなあ。缶詰めしか食べないおばあさんには「食物の五大栄養素は」という話を(ほとんど通じないのだが)言って聞かせ、なにかと騒動の種になるわがままな弟を、あの手この手であやしつつ。もう、まるでお母さんそのものであるよ。
で、肝心のほんもののお母さんは、子供二人を置き去り(というか押しつけ)にして、恋人ととんずらしてしまう。なんたることよ。

星の話をしてくれるおじさんに出会って、さらに町の図書館員のおばあさんリザとも仲良くなって、なんとか持ちこたえてるって感じになるんですな。
で、とってもハッピーな結末が待っている、というわけではなくて、ひょっとしたらこれはとっても悲しい結末なのかもしれないけれど、それでも希望が持てるし、なんとなくさわやかな気分になるのは、やっぱり主人公のエンジェルのおかげかなあ。ホンマ、あんたはエライ。


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6月8日(金)

ミステリー・SF・日常生活

とりとめもなく、いろんな本を読んでます、という意味です。
ミステリーは「毒のたわむれ」という、ディクスン・カーの古典。
大富豪(実は財産はほとんど散財してしまったことが、あとで分かるが)の判事が、毒を盛られる。毎晩飲んでいるウィスキーに毒が入っていたのだ。たまたま判事に呼び出されて居合わせたマールは、犯人探しに関わることとなる。
おりしも、判事夫人は長い間床に就いていて、どうやらこちらは食事に砒素が混入されているらしい。このふたりの同時暗殺を企てたものが居るのか。それはこの家の息子?娘?(この家には二人の息子と一人の娘が居る)。それは父親の財産目当てなのか。あるいは他に犯人がいるのか?
かかりつけの医師とともに、事件の真相を探るが、意外な殺人事件が起こってしまう。さあ、犯人は誰でしょう?

毒薬を盛る、という古典的な手法。密室でのトリックとか、そういうものは一切なく、ただただ「犯人は誰?」という興味一点に絞っているような気がする。翻訳もそんなにうまくないので(テンポがない。もともとそうなのかなあ)、読むのに骨が折れたな。でもミステリを読むときの常で、最後まで読んでしまうのだった。犯人が誰か(途中でこんがらがってくるのだが)知りたいのですな。まあ、いろんな矛盾もありそうなんやけど、そこは昔の作品と思ってめをつぶって。


オールディスの「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」は、SFと呼んでいいのか。作者はSFお大家らしい。僕は知らんかったけど。
イギリスの片田舎の半島(ヘッド)に生まれた、結合双生児のはなし。
トムとバーニーは体の一部がくっついた結合双生児。その上、バーニーの肩の上には小さなもうひとつの「頭」もついている。この二人がテレビで紹介されると、芸能界の大物が売り出そうとやっきになり、バンドのボーカルをさせてそこそこの成功を収める。やがてバンドメンバーのいさかいや女性関係や権力関係のごたごたで、ふたりの人生は狂っていく。そして生まれ育った「半島」に戻ってくるのだが。

「頭」と「半島」をひっかけた題名。ショービジネス界のごたごた。双子の人生に関わった人たちの手記、という体裁。どうもこの小説は、内容はけっこうグロテスクなんだけど、それが「悪趣味」の手前でとまっていて、なんとか読めるっていう感じ。
これがSFなのかどうなのかはおいといて、どちらかというと「ちょっと長めの短編小説」って感じで、まあ読みようによっては、いろんな皮肉とかが込められていると思うけど、それを除けても、まあそこそこ面白い話ではある。あんまり深刻ぶらないで読むといいのかも。途中からそう思いだして、ぱらぱらっと読みすすめていくと楽しめる。この「手記の連続」というのが、どこか芥川龍之介の「薮の中」にも通じるような気がするし。

ところで、これって映画化もされているのですね。どんな映像になったのやら。


ついでにもう一冊。「手作り生活111のコツ」なんやけど。DIYのススメ、みたいな本で。そういうのが好きな人、趣味のある人はいいでしょうが。僕は読むところが少なかったなあ。コツ、というほどコツでもない。「こんなことをしたら楽しいよ」という紹介やね。それ以上のものではない。


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6月9日(土)

建築を作る人の思いと住む人の理想

著名な建築というのがある。なかには「○○邸」というように、実際に誰かの住まいになっているものもある。そういう「名建築」に住むのは、どういう気持ちなのだろうか。
以前、安藤忠雄の「住吉の長屋」に実際に住んでいる人のインタビューを読んだことがある。「住吉の長屋」とは、コンクリート打ちっぱなし(安藤忠雄の得意なものだ)の箱のような住宅である。安藤忠雄の名を有名にした画期的な建築と言われている。
しかし、実際に住んでみると、コンクリート打ちっぱなしの住宅というのは「夏は蒸し暑く、冬は底冷えがする」という、なんとも住みにくい住宅なのだそうだ。印象に残っているエピソードで、夏場、部屋の中にいると蒸し暑くて寝苦しい。ふと、屋上にあがったら(屋上はベランダになっている)外気にあたって、キャンプ気分で涼めるのではないかと、布団を屋上に運んで寝てみたんだそうで。しかしコンクリートというのは、昼間は熱をため込んで、夜になって外気温が下がると熱を放出するという性質があるそうで、だからその上で(屋上ベランダはコンクリートむき出しである)寝たら、「フライパンの上で寝るようなものだった」という。
それでも、「住みにくさもこの家の魅力」と割り切って、住んではるのだった。

「中野本町の家」は、成立の仕方というか、建てられた経緯は「住吉の長屋」とはずいぶん違う。でも出来上がったら、「こんなはずではなかった」というのは、よく似たところがあるかもしれないなあ。とこの本を読んで思ったなあ。
夫婦と娘二人の暮らしから、突然夫が亡くなって。それを機に(ということは、ある種の逃避とかやり直しとかいう意味があったんだろう)家を新築する。妻の弟が建築家であったので、ふたりで相談して作ったのが「中野本町の家」、通称「White-U」という建物。
白いコンクリートのU字型の建物で、端がつながっていて、中庭がある。U字型のなかはほとんどがワンルームで、端っこに寝室があり、キッチンなどがある。

とてもユニークな形状だし、海外にも紹介されたらしいのだが、娘二人が独立し、ひとりで住むかどうか、というときに、取り壊すことにするのですね。それは「作ったときの思いが強すぎるので。わたしたちが住めなくなったら、取り壊すしかない。ほかの人が住むことは考えられない」ということらしい。
つまり、家の成り立ちが施主(この場合はお母さん)の思いによるものであったってことやねんなあ。
そのあたりの家族3人の思いが、それぞれのインタビューによって明らかにされるのですね。まわりで見てる人、写真などで「ええなあ」と思ってた映像が、実はこんなことやったのです、という種明かしというか裏話というか、明らかにされる楽しみが(不謹慎やけど)あって、とても面白い読み物になっている。3人それぞれが、この家に違った印象や思いを持っているのがおもしろかったなあ。

本のメインは3人のインタビューであって、巻末に付録のように、建築家の、建築の経緯やコンセプトなどが載っている。で、それまでの家族のインタビューと読み比べてみると、なんとこの建築科の解説の分かりにくいことよ。
家はやっぱり、そこに住む人のものなんやなあ、ということを改めて思い知らさせてくれるような、そんな本に(思いがけずやろうけど)なっている。いろいろ考えさせられる。


自称「マッド・マドリスト」という、間取りオタクのコレクションともいうべき本が「間取りの手帖remix」である。「remix」というのは、これは文庫なのだけれど、もとのハードカバー(それも文庫のような本らしい。現物は未確認)から、さらに修正・加筆をしているから、ということらしい。

実際に広告に載っている「間取図」を集めただけの(それにちょっとコメントが入っている。ときどきコラムも載っている)本である。しかし、コレがとてもとても面白いのだ。
間取りのひとつひとつに、短いコメントのような題名のようなものが添えてあって、それがその「間取り」にぴったり。どういう間取りにどういうコメントが? というのは、もう実際に見てもらいましょう。ともかく、笑ってしまう。

さらに面白いのが、このひとつひとつが実際の広告に載っている「間取り」であることだ。ほんまにこんな部屋、あるんかいな、というのが「○○万円」という家賃つきで載っているのである。なんか、日常生活の隠れたおかしさを浮き彫りにしてくれているような、そんな本です。そして、くすっとワラかしてくれます。


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6月12日(火)

読んでる本

できるだけ、読み終わった本の感想を書こうと思っているのだが、図書館の返却日までに読み終わりそうにない本とかもある。このさい、「読後感想」はあきらめて、ともかく「こんな本を読んでる」ってことで書いておこうかな。
読み終わってしばらく書かないこともあって、そんなときは記憶が薄れていてなにを書いていいか分からんようになってる時もあるからなあ。

今読んでるのはミステリーが一冊、エッセイが一冊、児童文学が一冊。それぞれを並行して読んでる。なんというか、一日のテレビ番組みたいにな。エッセイが「ニュース、バラエティ」、児童文学が「少年向けドラマ」、ミステリが「連続ドラマ」というふうに。
ただし、全部が全部、ちゃんと毎日読んでるわけでもない。たとえば、ミステリを読んでいて、もう面白くてやめられなくなって「ともかく、犯人がわかるまでは!」と思って続けざまに読んでしまったりもする。ま、その時その時で気に入った本を読むだけなんやけどね。

ミステリはハヤカワから出ている「ベスト・アメリカン・ミステリ−ハーレム・ノクターン」という、2002年版のアメリカ・ミステリ短編集である。毎年出ているのですね。以前、DHCから出ているものを読んだっけ。でもどんなんやったか、ほとんど覚えてない。ひょっとして図書館から借りたけど、ほとんど読んでない? かも知れないなあ。

各編20〜30ページほどの短編。全20編のうちの4編まで読んだ。
「ベフカルに雨は降りつづける」(ジョン・ビゲネット)は、母親を殺害して逃亡した実の父親(つまり妻殺しだ)を探し出して、復讐しようとする息子の話。貧乏暮らしの彼は宝くじがあたって、ようやく父親探しの資金を得る。そして探偵を使って父親を探し出すのだが、そこで初めて事件のいきさつを聞かされる。
話の筋もなかなかだけれど、なにより印象に残るのは、舞台となる南米のギラギラした都会の臭いと、ジャングルの臭いの対比だろうなあ。

「二塁打」(マイケル・コナリー)は警官もの。殺し屋の尾行をする警官コンビ。職務質問で、彼の行き先が野球場(しかも満員の)だとわかる。殺し屋のターゲットは誰か? 警戒を続けるふたりの警官。しかしターゲットは意外な人物だった。
主人公の警官の、あまり語られない「息子の思い出」が、創造力をかき立ててくれる。

「八百長試合」(トマス・H・クック)は、ボクサーの話。バスで偶然隣り合わせた男は、有名な元ボクサーだった。なぜ有名かというと、彼の最後の試合は「見え見えの」八百長で、圧倒的に有利に試合を進めていたのに、相手ボクサーの「ひとかすり」でダウンしてしまったのだ。つい、その真相を正そうと話を聞き出すと、真相は意外なものだった。
ミステリなんだけど、ちょっと心温まるような、ちょっと寂しいような話やったな。

「数学者の災難」(ショーン・ドリットル)は風変わりな話だった。元大学の数学教授が主人公。ある時突然「計算できない」症状に見舞われて(たいそうな病名がついていたな)、大学を退職するはめになった彼は、「数字と確率の世界」であるカジノで、大きな借金を作ってしまう。その元締めに目をつけられ、会計士としての契約を迫られるのだが。
元「数学の」大学教授が、簡単な数式もできなくなるという悲劇(喜劇?)。真剣に読んでしまったが、これってちょっとユーモア小説?


エッセイは、モームの「サミング・アップ」を読んでいる。昔々、「要約すると」という邦題で出版されていたものの改訳版。
いやあ、とても面白いです。何かのテーマを持ったエッセイというわけじゃなく、章ごとに(70以上ある)あんまり関係もなく、だらだらと所感を書き連ねているだけなんだけど、そのひとつひとつがユーモアに富み皮肉に満ち、ついつい「くすっ」としてしまう。
最初の方は自分の生い立ちの(簡単な)紹介とか、小説を書くときの心構えとかで、まだそこら辺までしか読んでないねんけど。中に政治家との交流を書いた部分など、今でもこのとおりなのではないかと思ってしまった。
パーティーなどで話をする彼ら(政治家)は、十分な知性を持ったひとは皆無であった。彼らはおそらく、何科を考える力より、うまく話をする力があるのだろう。そんな人間が政治家になるのは信じられないと思っていたが、そんな人間が政治家になってそこそこ仕事をこなしているところを見ると、自分の見方は間違っていたと認めざるを得ない。
などなど。

内容も面白いけれど、訳もええねんやろなあ。とてもすらすらと、その場にモームが居て喋っているような気がする。いや、もともとモームの文章がそういう文章なのかも。
僕もこういう文章が書けたらなあ・・・・と思うなあ。無理か。


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6月14日(木)

読んでる本:ミステリーの続き、絵本

「男は妻と二匹の犬を殺した」(マイクル・ダウンズ)。階下の住居で殺人事件。その時、上の階に住む男は、何を考えたか。
それ以上の事件は起こらない。これもミステリーなのか。どこが? と考えるのはやめとこう。

「ファミリー・ゲーム」(ブレンダン・デュボイズ)。リチャードは少年野球チームの監督。息子はエース・ピッチャーだがこのチームはとても弱い。このシーズンも一勝もできないまま終わろうとしている。ようやく勝ちそうだったゲームも、一番ちびっこのレイがフライを取り損ねて負けてしまった。でもリチャードはレイを励まそうとする。だがレイの父親は息子を罵倒し、リチャードにも食ってかかる始末だ。とうとうレイの父親に殴りかかられるが、リチャードには殴り返せない理由があった。FBIの保護プログラムに入っているのだ。彼は10数件の殺人事件の容疑者だったが、司法取引で殺人事件にからむ「裏社会」の裁判の証人となり、「問題を起こさない」代わりに、安全な生活を送っていたのだ。
しかししかし。レイの父親に怒り心頭となって。さてどうする?
「ファミリー・ゲーム」という題名の意味が最後に明かされる。うまい。

「青い鏡」(デイビッド・エイガーリー・ゲイツ)は弁護士もの。死期が迫った老富豪から、依頼を受ける弁護士。なぜか分からないが、誰かに脅されたというのだ。息子の命が惜しくないのかと。なんのことか分からない老富豪。息子もまた弁護士だった。どうやら麻薬密売組織と何らかの関係があるらしい。息子ともども、雲をつかむような依頼にこたえようとするのだが。
ちょっと話がややこしい。もってまわった言い方(裏社会では通用するのだろう)も多いし。話としては、とても映画的で、このままダーティーハリーの一話になりそうだ。

というわけで、ようやく7話を読み終わったところ。一口にミステリーといっても、話の展開はさまざまで、それぞれ楽しめたな。新作の新訳(あたりまえか)で、たぶん新人の翻訳者も多いと思うのに、どれもスラスラと読み進められる。うまいなあ。
ただ、最近の傾向なのかなあ。いろんな固有名詞がそのままカタカナになってるなあ。レボルバーぐらいなら分かるけど、最初は人の名前かと思ったのが、銃の名前だったり麻薬の名前だったりして。それに説明がないと、ちょっとこんがらがるであるよ。そこらへんは難しいのだろうなあ。いちいち日本語をあてると原文のスピード感とかがなくなるし、といってなにもかもカタカナ表記にしたら、僕のように「なんのことやらわからん」となってしまうしな。でも、まあ全体に、とても面白かった。


稲垣足穂の名作「一千一秒物語」は、以前文庫で読んだんやけど、図書館に絵本になったものがあったので手にとってパラパラとめくってみると、これがとてもいい感じなのでついつい借りて帰ったのだ(絵:たむらしげる)
寝る前に読んだら、いい夢が見れそうだ。まだパラパラとしか見てないねんけど。

絵本つながりで、そういえば、と、25年ぐらい前に読んで心に残っていた、キーピングの「まどのむこう」がないかと思って、調べてもらったら置いていた。書庫から引っ張り出してきてくれて。ありがとうございます。
ジェコブという少年が、2階の窓から外を眺めている。そこで起こる出来事。窓から見える教会。馬を使っている(らしい)工場。「せんたくばあさん」と汚らしいばあさんの飼い犬。どうろそうじのウィレットさん。
それはどうということのない、いつもの一日の風景。のはずが、思わぬ事件が起こる。そして悲劇が。

それは町中ではよくあるひとつの出来事かもしれない。そうだろう。でもそれを見ているジェイコブと、当事者のひとびと、という対比がすばらしい。
そして最後のページまでくると、胸が締め付けられる思いがするのであるよ。25年前もそうやった。今読み返しても、最後の絵(せんたくばあさんとその飼い犬)は、ある意味衝撃を受ける。


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6月19日(火)

ライトノベル? ファンタジー?

ティム・ボウラーはイギリスでカーネギー賞を受賞した作家。「黙示の海」は朝日新聞の書評欄にも載っていた。それによると全国の学校図書館にも数多く収められているらしい。へええ。

そういう「○○賞を受賞した作家」の作、というのにちょっと弱いのです。どんな作品を書くのだろう、あるいはどんな作品がその賞を取ったのだろう、という興味から読んでみたくなるのだ。

15歳の少年キットとその両親が、自家用船で海に出る。お父さんは破産寸前で、この船も売りに出さねばならない。その最後の航海をしているわけだ。
旅も終わりに近づいたころ、嵐が3人とその船を襲う。キットは帆の操作を任されるが、波に漂う小さな木造りの(おもちゃの)船に気を取られて、帆の操作を誤り、船は難破する。キットがおもちゃの船に気を取られたのは、その船の向こう、つまり海の底に男の顔が見えたからだった。しかもその男は「歳をとった自分」にそっくりだった。
難破した船はある島に流れ着く。そこはある宗教に取り付かれた人々が、他の世界と隔絶した生活を送っているところだった。島民に襲われる3人。そこにひとりの少女が現れる。さらに、あの海の底で見た男も。男は何者か?

島民との戦いが始まって、ノンストップの冒険が続く。と書くと、ずっとハラハラのしどおしで、息をのむ展開が続くかと思われるけれど。どうもそういうことにならんのだなあ。次々にいろんな困難が襲いかかってくるんやけど、それが「ハラハラドキドキ」になってくれない。どうしましょうか。
なんとかこの300pになんなんとする物語を読み終えて、さて。物語の構成も、最後の話のシメもとてもよくできている。良くできているんだけれど、それが心に響いてくるかどうかというのは話が別なのだな。
最初の船の遭難、島民との邂逅、少女ウラとの友情、愛、そして謎の男、と話はどんどん展開していくねんけど、それについていくだけで精一杯。というか、そんなにややこしい話が必要やったんかなあ。という疑問が残るのだ。そんなにいっぱいいろんな災難がキットに降りかかってくる必要があったのか。最後の章がとても味わい深い、いろんなことを考えさせられる内容だっただけに、それまでの展開に疑問が残る。
つまり、最後の章を言いたいがために長々とソレまでの冒険談を聞かされて来た、という感じだ。まあそれが作者の意図するところだったのかもしれんけど。

いわば少年向けの「ダ・ヴィンチ・コード」ともいえるかも。なにしろ一難去ってまた一難というのが延々と続くんやから。もうちょっと刈り込んだら、作者の言いたいことに納得できたかもなあ。

これを読み終わって、今「ライトノベル☆めった斬り!」を読んで、ああそうか、「黙示の海」はライトノベルやったか、とハタと思い至ったのだった。
ライトノベルとは何か、というのはよく分からないんだが(この本でも「定義は難しいなあ」と書いてるけど)、ともかくも「ファンタジー」であることで、ひとつの関門は通過できるらしい。そして「ゲーム感覚もあり」というところでは、まさしくぴったりだ。「愛と友情」というのもいいかもなあ。主人公が少年(15歳)というのもオーケー。

いや、無理矢理そこに当てはめることもないんやけど。途中の展開を楽しむ、というところが「ライトノベルっぽい」のかなあと思ったりして。そんなジャンル分けに大きな意味がないとは思っていますが。


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6月22日(金)

すべてはライトノベル化している

「ライトノベル☆めった斬り!」を、ひととおり読んだんやけど。大森望と三村美衣の対談部分はすらすらと読めたが、途中に入っているライトノベル本紹介になると、字が小さくなるし内容は濃くなるしで、これをいちいち一生懸命に読んでると読みきれへんなあとあきらめて。ちょっとすっ飛ばして読みました。

ライトノベルとはなんぞやということもあるんやけど、まあ楽しく読めましたなあ。出版界の裏話的なことも載っていて。ええんかいな。ええんやろなあ。

最初のうちのライトノベルは「学園もの」とか「少年少女もの」とか「SFもの」とかがあったようで、最近になると「エロゲー」ものになっていくようなんですねえ。結局はそこに行き着くのか。しかし一方で女の子向けのライトノベルというのもあるようで。なにしろ年間2000冊(!)が刊行されているらしい。それもそこそこ売れているらしいから驚きやなあ。これのおかげで角川が息を吹き返したとか。ホンマかなあと思うけど、この数字を見るとあながち、という気もする。

中に紹介されているライトノベルをちょっとみてみると、とても面白そうな(しかし危なそうなものもある)ものばっかり。ちょっとオタク系と思えるものもあるけどね。予備知識が必要になりそうなものもありそう。「入門にはこれがいいでしょう」とか書いているものもあるので「初心者にはわけがわからんものもあるのか?」と思ったな。あるんやろなあ。オタク世界に入り込んでる小説とか。

で、最近のミステリーは、どうなんやろうと、ちょっと飛躍して考えてしまったのだった。ここに紹介されている初期のころのライトノベルは、たしかに純文学とはまったく違ったもので「エンターテイメント」に徹しているようだ。それで成功している作品、成功した作家(その後、「普通の」文学作品を書くようになる作家)も含まれている。今読んでも面白そうなものもある。シリーズもの(20巻ものとかもざら)などは、「ハリー・ポッター」を思い起こさせたりするし。

いや、だから「ハリー・ポッターは所詮はライトノベルなのだ」というつもりはない。だいたい「ライトノベルだからだめ」というつもりもないし。
ジャンルがどんなものであれ、面白ければいいのではないかと僕は思う。その作品にひとを喜ばせる力がなければ、読まれないだろうし売れないだろう。売れているということはどこかに人を喜ばせるものがあるってこと。それは大事なことやろうと思うのです。

でも。あまりにも最近、同じような作品が多すぎるような気がする。って、そんなに読んでる分けではないんやが。ただ、なんとなく、ひとつの結末、ひとつの「感動」を、きまった形の中に描こうとする傾向があるような。それは僕の読み方が浅いからかなあ。読んでる本が偏っているからかなあ。
特に最近のベストセラーは、次々とページをめくらせる「術」には長けているんだけど、ちょっと「ゲーム系」のにおいがするのが多いような気が。気のせいかなあ。


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6月24日(日)

シアラーは何冊目だろう

アレックス・シアラーの本はもう何冊も読んでるなあ。「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」は何冊目かなあ。4,5冊目になるか。
ぶたこに薦められて(そんなことはめったにないねんけど。特に児童文学は)読んでみたのだが、読み始めたらたしかに途中でやめられなくて、一気に読んでしまったよ。ほんまに面白い。

主人公カーリーは12歳の女の子。ある日、学校に転校生がやってくる。その女の子メレディスと友達になりたいと思うのだが、どうもうまくいかない。メレディスには両親はおらず、グレースというおばあさんとふたりで暮らしているらしい。いつも学校に迎えに来るのはそのよぼよぼのおばあさんだ。そしてなぜか、おばあさんがメレディスの面倒を見ているというより、メレディスがおばあさんにいろいろさしずをしているように見える。
ある日、おばあさんとふたりだけになったカーリーは、おばあさんとメレディスの秘密を打ち明けられる。それは信じられないような話だった。そしておばあさんは「わたしを助けて」というのだが。

はじめは学園もの、青春もの、あるいはおばあさんと少女の友情ものとか、そういう話かと思っていたら、だんだんおかしな方向に話は進んでいく。そしてカーリーがうまくおばあさんの願いをかなえられるのか? というところで、またまた話は意外な方向へ。そしてさらなる冒険へ、と発展していくのだな。

この、静かに始まって盛り上がっていって、そして最後はハラハラドキドキで「やめられなくなる」展開になっていくところ、シアラーらしくっていいなあ。
魔法とか呪文とか、そういうのが出てくるのがほかのシアラーの作品とはちょっと変わってるところやけど(「青空のむこう」もちょっと幻想ものやけど。あれはそんなに大きな冒険は出てこなかったなあ)
結末が、ちょっとうまくいきすぎて物足りない、と思うのは贅沢すぎますね。ここまで楽しませてくれたら文句を言ってはいけません。


普通、児童文学に限らず、小説には「起承転結」があるもんやけど、「ちいさなちいさな王様」には「起」も「転」も「結」もなく、あるのは「承」のみ。つまりいきなり話が始まって、唐突に終わるのである。

「ある朝起きると、そこに親指大ほどの王様が居た」とでもなっていたら、これはこれで「起」とも言えるけど、この本の書き出しはこうだ。
「しばらく前から、ほんの気まぐれに、あの小さな王様が僕の家にやってくるようになった」
そして王様と僕との会話が続くのである。

「小さな王様」と聞くと、すぐ思いだすのが「星の王子様」だろう。しかし「星の王子様」は「星から落ちて地球に来て、また星に帰る」という「起承転結」があった。
この「ちいさなちいさな王様」は、「僕」の部屋にきた王様が「僕」と会話をし、グミベアー(クマの形をしたグミ)を食べ、そして部屋の隅に消えていく。それもしょっちゅう。それだけの話なのだな。なんとも人を食ったような話だ。

思えば、「ムーミン」なんかもこのたぐいか。「ムーミン」がどういう出自か、なんてことは問題にならない。話の中心は「ムーミンがどんな冒険をするか」だけで、「何故ムーミン?」などとはみんなは考えない。
同じように、主人公の「僕」は、王様の存在を不思議に思ったりしない(実は思っているのかもしれないが、言葉には出てこない)。だから話の中心は、王様が「ちいさな世界」でどんな暮らしをしているかとか、どれほど「大きな人」と違っているか、ということだけ。大した冒険もしない。いちど「僕」の胸ポケットに潜んで外出するくらいのものである。そうすると、「僕」には今まで見えなかったものが見えてくる。渋滞の車の間に寝そべっている青い龍の姿とか。
そして王様は、いろんな示唆に富んだ問答を仕掛けてくるのだな。それがちょっと、心に響くところもあるね。

で、王様はどうなるのかな? と思っていたら、どうにもならないのだね。唐突に話は終わる。「それから王様は現れませんでした」とかいうのもなし。どうなったんだろうね。そこは読み手が考えることなのかも。


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