ヤクザル調査隊の人口学

2004.5.25. 半谷吾郎

 ヤクザル調査隊に参加するのは、いったいどんな人たちなのでしょう?ここでは、調査員名簿をもとに、2003年までの15年間にヤクザル調査に参加した人たちについての統計的な傾向を見てみることにします。

 なお、調査隊の初期(1989-1993年)には、名簿が完備されていなかったため、参加者のフルネームがわからなかったり、所属が不明の参加者の方がいらっしゃいます。以下の分析の一部では、それらの方を除いてあります。

目次
1. 参加者数
2. 参加者の身分
3. 参加者の所属
4. 参加者の住所
5. 参加者の性別
6. 参加者の参加回数
7. 参加者の専攻
8. 参加者の年齢


1. 参加者数

 1989年から2003年までの15回の調査に参加された方の総数は、のべ811人です。この中には何度も調査に参加した人が含まれており、それらを除いた調査参加者の実総数は、552人です。
 図1はそれぞれの年の参加者数です。第1回の調査である1989年が30人と最小でした。鹿児島県の委託によって海岸部の猿害地の調査を行った1991年と1992年は非常に規模が大きく、それぞれ114人と99人が参加しました。その後の年の参加者数は50数人から40人のあいだです。





 それぞれの年の期間別(前期と後期、ただし、1991年と1992年は前期前半、前期後半、後期前半、後期後半)の参加者数を示したものが図2です。この図はいわば「一度に集合している参加者の数」をあらわしたものです。調査の期間中、参加者の入れ替えがあるため、「調査隊の規模」のもう一つの指標としてこの数を分析しました。1989年と1990年は参加者の入れ替えの記録が残っていませんが、それぞれの参加者が自分の都合のつくときに参加されたようです。

 1991年から1995年までは、前期と後期で大幅に参加者が入れ替わるようになっており、さらに1991年と1992年には前期、後期それぞれの前半と後半でも小規模な入れ替えがありました。1996年から2001年までは、参加者は基本的には全期間通じて参加していただくようになり、前期と後期のあいだで小規模な入れ替わりがありました。2002年からは再び前期と後期で大幅に参加者が入れ替わるような体制に変わりました。




 図2を見ると、一度に集合する参加者の数もやはり1991年と1992年が非常に多く、1991年後期前半には73人、1992年後期前半にも70人もの参加者によって調査が行われました。

 1993年から1997年は、非常に小規模だった1994年前期(12人)を除けば30人から40人、1998年から2001年は40人から50人で行われました。1998年前期は56人ととくに多い年でした。

 1991年、1992年の大規模調査は集落付近の調査だったため、宿泊地は公民館などでしたが、1993年以降は上部域の調査が多く、基本的に山の中でキャンプして調査を行っています。1998年は、上部域の調査をはじめて以来調査隊の規模が最大になっただけではなく、調査地へ通じる大川林道が不通で、調査員はすべての荷物を担いで上がらなければいけませんでした。この年の調査は幸いにも調査隊始まって以来の好天続きで、雨が一日しか降らなかったため無事に調査を終えることができました。しかし、翌年以降は何度か下界に避難しなくてはならない事態も生じ、その際調査隊の規模が大きいことがかなりの負担になってきました。2002年に再度調査員入れ替え方式を導入したのはそのためですが、以後一度に集まる調査員の数は20数名になり、事務局の運営の負担は大きく軽減されました。

2. 参加者の身分

 参加者の身分を大学生と短期大学生(以下大学生)、大学院生とポスドク(以下大学院生)、その他学生(専門学校生、高校生など、以下その他学生)、研究者の社会人(以下研究者)、一般の社会人(以下社会人)の5つに分けると、15年間の合計で、大学生が500人(67%)、大学院生が90人(12%)、研究者が56人(7.5%)、その他学生が53人(7.1%)、社会人が51人(6.8%)となります(身分が不明の61人を除いて集計)。参加者の身分構成の年による変化を示したものが図3です。



 調査隊の初期には参加者の多くは研究者と大学院生で、大学生は少数派であったことがわかります。

 1991年の大規模調査をきっかけとしてこの構成に変化が生じました。研究者は少数派となり、大学生の比率が常に60%と、調査隊の多数を占めるようになりました。

 大学院生も1995年までは減少の一途をたどっていましたが、1996年以降再び増加し、現在は毎年参加者の20%弱を占めるに至っています。これは、初期の調査に参加した、プロのサル研究者としての大学院生が(ほかの研究者同様)調査隊からだんだん退場していったのに対し、学部学生時代から調査隊に参加していた調査員が1996年以降相次いで大学院に進学して調査に参加したこと、また1999年以降、京都大学大学院理学研究科の人類進化論研究室や霊長類研究所の新入大学院生がほぼ毎年この調査に参加するようになったことを反映しています。

 その他学生は旧東洋工学専門学校・現東京環境工科専門学校の学生が数多く参加していた1997-1999年ごろは参加者の約20%を占めていましたが、現在は少なくなっています。

3. 参加者の所属

 調査参加者のうち、社会人50人と所属不明の60人を除く参加者の所属機関を示したのが表1、主な機関の参加者の推移を示したものが図4です。これまで、54の大学、2つの短期大学、3つの高等学校、6つの専門学校、4つの研究機関から調査員が参加しています。


表1. 調査参加者の所属機関(社会人除く)
所属機関 人数 所属機関 人数 所属機関 人数
京都大学 240 近畿大学 3 ワイルドライフワークショップ 1
鹿児島大学 81 国際基督教大学 3 愛媛大学 1
岐阜大学 60 三重大学 3 横浜国立大学 1
日本大学 60 早稲田大学 3 京都産業大学 1
旧東洋工学専門学校 29 東京農業大学 3 京都府立大学 1
(現東京環境工科専門学校) 東京農工大学 3 群馬大学 1
龍谷大学 26 日本獣医畜産大学 3 滋賀医科大学 1
東京大学 18 名古屋大学 3 聖心女子大学 1
立命館大学 16 下北野生生物研究所 2 千葉大学 1
日本動植物専門学校 12 京都女子短期大学 2 帯広畜産大学 1
武蔵大学 10 広島大学 2 大阪コミュニケーションアート専門学校 1
関西学院大学 9 国際環境専門学校 2 大阪教育大学 1
明治学院大学 8 十文字学園女子大学 2 大阪大学 1
宇部短期大学 7 成蹊大学 2 大阪府立農芸高等学校 1
九州大学 7 第2びわこ学園 2 中央大学 1
奈良女子大学 7 麻布大学 2 鳥取大学 1
野生動物保護管理事務所 7 明治大学 2 追手門学院大学 1
日本モンキーセンター 6 鳴門教育大学 2 東京女子大学 1
鹿児島県立屋久島高等学校 5 東京都立国際高等学校 1
静岡大学 5 東邦大学 1
北海道大学 5 同志社女子大学 1
岩手大学 4 徳島大学 1
摂南大学 4 奈良教育大学 1
二松学舎大学 1
兵庫県立淡路景観園芸学校 1
法政大学 1
酪農学園大学 1
琉球大学 1



 もっとも参加者の多いのが京都大学の240人で、全体の32%を占めます。次いで多いのが鹿児島大学の81人(11%)で、岐阜大学と日本大学が同数の60人(8.0%)で続きます。ほかに参加者が20人以上の機関は旧東洋工学専門学校・現東京環境工科専門学校と龍谷大学で、これらの「多数派」の大学・学校以外の参加者も全体の29%を占めています。

 京都大学は霊長類学の本場ですので、調査の中心となる研究者、大学院生の多くが所属していますが、その他に野生生物研究会というサークルが1990年以来、毎年多くの参加者を送り込んでいます。ほかにも講義や実習、研究室訪問のときにこの調査のことを紹介されるなど、京都大学の参加者は様々なつてでこの調査のことを知ったようです。

 鹿児島大学の参加者は1991年と1992年に集中しており、とくに1991年は参加者の60%が鹿児島大学に所属していました。1991年と1992年の調査は鹿児島県の委託事業として行われており、地元の鹿児島大学で参加者募集の大規模な呼びかけを行ったことによるものです。

 岐阜大学からの参加者は生物科学研究会というサークルに所属する人がほとんどで、このサークルが1992年以来毎年2-6名の参加者を送り込んでいます。

 日本大学の参加者のほとんどは旧農獣医学部・現生物資源科学部の学生で、旧林学科・現森林資源科学科を中心とする学生の個人的つながりによって参加した人たちです。日本大学の参加者は1998年に京都大学の13人を上回る14人(この年の参加者の24%)にものぼりましたが、以降減少し、2003年には残念ながら参加者がいなくなってしまいました(ただし、OG2人が参加)。

 旧東洋工学専門学校・現東京環境工科専門学校は1995年に初参加し、1998年には10人と、京都大学、日本大学に次ぐ参加者の多さでしたが、残念ながら2000年を最後に参加者が途切れてしまいました。

 龍谷大学はのべ参加者26人のうち、半分以上(14回)を隊長の好廣眞一が占めています。

4. 参加者の住所

 ここでは、調査参加者の自宅住所、それが不明の場合は参加者が所属する機関の所在地を分析しました。とくに1993年以前は名簿が整備されていなかったため、それ以前の参加者の方は所属機関の住所を分析してあります。以下では、自宅住所、所属機関ともに不明の63人を除いて分析を行いました。

 なお、「関東」は東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、「北陸甲信越」とは山梨、長野、新潟、富山、石川、福井、「東海」とは、愛知、岐阜、三重、静岡、「関西」とは京都、大阪、滋賀、奈良、兵庫、和歌山、「九州」には沖縄を含むこととしました。参加者の住んでいた都道府県の一覧を表2に、地方別の人数の推移を図5にあげました。


表2. 参加者の都道府県
都道府県 人数 都道府県 人数 都道府県 人数
京都 249 千葉 13 広島 2
鹿児島 87 埼玉 8 青森 2
東京 76 福岡 8 愛媛 1
神奈川 71 山口 7 沖縄 1
岐阜 54 静岡 7 群馬 1
愛知 41 北海道 7 新潟 1
大阪 35 岩手 4 長野 1
兵庫 27 香川 4 鳥取 1
滋賀 16 三重 3 富山 1
奈良 15 徳島 3




 これまで、29都道府県から調査員が参加しています。また、海外からも二人の人が参加しています。最も参加者の多いのは京都で249人(33%)、以下鹿児島87人(12%)、東京85人(12%)、神奈川77人(10%)、岐阜60人(8%)と続きます。地域別にみると関西が342人(43%)で最も多く、関東の169人(23%)、東海の105人(14%)、九州の96人(13%)がこれに次ぎます。その他の地方は非常に少なく、中国10人(1.3%)、四国8人(1.1%)、北海道7人(0.9%)、東北6人(0.8%)、北陸甲信越3人(0.4%)です。

 年ごとの推移で特徴的なのは1991年に九州が多いことですが、これはこの年に鹿児島大学の参加者が非常に多かったことを反映しています。九州は1991年と1992年以外の年では少なく、その他の年はほぼ毎年関西が最大、関東か東海がこれに次ぐ人数になっています。

5. 参加者の性別

 図6は参加者の性別の推移を示したものです。最初の2年間は女性は約20%とごく少数派でした。これはこのころの参加者の多くがプロの研究者で、研究者にそもそも女性が少ないことの反映だと考えられます。1991年以降大学生が参加者の多数派となってからは、女性の参加者は40%弱で推移してきましたが、2003年、初めて女性が60%と多数派になりました。

 実は、すでに数年前から女性の増加の兆しは見えており、「実際に参加した人」ではなく「調査に申し込んだ人」の数は、2000年ごろから女性のほうが多くなっていました。このころから申込者が非常に多くなり、毎年20人以上の方の参加をお断りしていた状況の中で、男性を優先的に採用していた結果、女性の比率が40%程度にとどまっていたのです。2003年は、男性を優先的に採用しても女性のほうが多くなってしまうほど、女性の申し込みが多かったのです。今の大学生は女性のほうが元気がいいのかもしれません。

6. 参加者の参加回数

 調査に参加した実人数552人の方の参加回数を示したものが表3です。1回だけ参加した人が425人(77%)、2回参加した人が71人(13%)、3回参加した人が34人(6.2%)、4回以上参加した人が22人(4.0%)です。最多参加者は調査隊隊長の好廣眞一で14回です。

表3. 各々の調査員の調査参加回数
参加回数 人数
1回 425
2回 71
3回 34
4回 7
5回 4
6回 2
7回 2
8回 2
9回 3
11回 1
14回 1

 それぞれの年の参加者の、調査参加経験を示したものが図7です。初参加者数は、はじめは調査の年を経るごとに順調に減少し、1996年には43%と、この年唯一半分をきりました。その後は、初参加者の割合は微増する傾向にあり、現在は参加者の約60%が初参加者です。参加4回以上のベテラン調査員は1994年ごろまではほとんど隊長の好廣眞一一人だけでしたが、1996年ごろから多くなり、安定して約20%を占めるようになりました。これらの多くは統括者として調査隊の中心を占める人たちです。


7. 参加者の専攻

 事務局の半谷が参加者全員を知っている1995年以降の大学生・研究者の参加者358人に限り、その専攻を分析しました。生物学と農学(獣医学、水産学を含む)が同数の140人(39%)でもっとも多く、調査の内容に比較的関係の深い分野を専攻している参加者が全体の8割近くを占めていました。その他の理系(工学、医学、生物学以外の理学、薬学)が34人で9.5%、文系(文学、教育学、経済・経営学、法学、その他)が44人で13%でした。

8. 参加者の年齢

 事務局では、旅行者保険加入の際に参加者の年齢を調べています。1999、2001、2002、2003年については、その資料が残っていたため、それをもとにこの4年間の参加者の年齢を分析しました。

 この4年間の参加者の平均年齢は23.4歳、標準偏差は8.0歳、年齢の中央値は21歳でした。平均年齢と年齢の中央値に2歳以上の差があるのは、ごく少数の高齢の参加者に値が引っ張られているからです。最高齢は2001年に参加した元日本モンキーセンターの大竹勝の68歳、最も若いのが同じく2001年に参加した、当時17歳の高校生でした。二人の年齢差は実に51歳にも及びます。この二人は偶然にも同じ班でした。

 図8はこの4年間の参加者の年齢構成を示したものです。10代の参加者が全体の約4分の1、20代のうち大学生に相当する20-22歳が40%、大学院修士課程に相当する23-25歳が15%、20代後半が10%です。10代と20代はあわせて全体の90%を占めます。30代の調査員の多くは調査隊の初期から連続して参加している人たちです。


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